コラム

2014年03月12日

 昭和191944)年127日、熊野灘に震源を持つマグニチュード7.9の地震が生じました。3年前の東北地方太平洋沖地震による津波被害は、記憶に新しいところですが、この地震についても、尾鷲市中心部を対象に、3日後に米軍が撮影した空中写真で津波被害の惨状が明らかにされています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsprs1975/45/6/45_6_69/_pdf (PDF)
 

 このたび、場所を変えて尾鷲市南部を対象に、当時の津波被害の状況を記憶していた方々(当時、主に小学校低学年)や、故人から津波の状況を聞いていたという方々にその空中写真(下の図の右上にその一部を示します)をご覧いただきながら、その状況を把握しました。
 

尾鷲市津波被害


 この空中写真で、地点(a)は標高約5mのところですが、石垣の上に築かれた家屋でも床上まで浸水したそうです。地点(b)には当時、小河川に木橋が架かっていましたが、津波で流失したそうです。この小河川の左岸側に当時建っていた家屋は、遡上してきた津波で流失したそうです。この空中写真でも、その場所に家屋は認められません。地点(c)の家屋は石垣の上に建っていますが、鴨居まで浸水したとのことです。地点(c)より海側には家屋が判読されませんが、当時、網干し場で、もともと家屋が建っていなかったそうです(現在の地図ではプールのある学校跡地になっています)。網干し場の海側は、写真では沈下しているように判読されます。

 地点(d)の県道は、戦後に埋め立てが海側へ拡張されてから敷設されたそうですが、当時は、海岸線に沿って埋め立てた平地に家屋が建ち並んでいたそうです。空中写真ではその家並みが判読されませんが、聞き取りによると、津波で流出したというよりも、震動でバタバタと海側へ家屋が倒壊していって、その後に襲った津波で流出したとのことです。埋め立て地が側方流動を生じた可能性があります。

 当時の津波被害の証言者が年々減るとともに、住民の方々の記憶が薄れるのも仕方のないことではありますが、わが国の防空体制をかいくぐってもたらされた米軍の空中写真は、過去から未来への、いわば『防災遺産』ともいえます。地震調査研究推進本部『南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)』によれば、マグニチュード89クラスの地震の発生する確率は今後30年間に6070%とされています。住民の方々の過去の記憶を手繰り寄せるのに有効なツールである、米軍の空中写真が今後の防災対策の一助となることを願ってやみません。
 
 尾鷲市南部を含め、戦争中に米軍が撮影した空中写真は、日本地図センターのホームページ(http://www.jmc.or.jp/photo/NARA.html)からご購入が可能です。



jmcblog at 08:00 

2014年03月05日

図1図2
左:図1)東北地方太平洋沖地震(M9.0 )後の地殻変動(水平)ー累積ー
右:図2)東北地方太平洋沖地震(M9.0 )後の地殻変動(上下)ー累積ー
(画像をクリックするとPDFファイルが開きます)

 もうすぐ、あの未曾有の災害をもたらした「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」(3111446分頃)から3年目がやってきます。

 国土地理院は、地震直後、全国の広い範囲に配置している電子基準点(GPS連続観測点)の観測データから、地殻変動を発表し、牡鹿半島が東南東方向に約5.3m移動し、約1.2mの沈下があったことを報道しました。

更に、これは、東北から関東にかけての太平洋側が東西に広がり、日本の面積が約0.93km2拡大したこと、つまり、この拡大した面積は、東京都庁と青森県庁を直線で結んだ約580kmを縦に、東西方向の幅1.6mを横とする細長い長方形の面積の増加分に相当するとも公表しました。これは、昨年我が国が、1年間に埋め立てをして増加した面積の約半分に相当します。

電子基準点のデータは、ほとんどの観測点で1秒毎に取得され、キネマチィック解析で条件が良ければ数cmの精度で地殻変動を捉えることも可能になってきました。この1秒毎のデータから、地震時の詳細な地殻変動が分かってきました。

 それは、311日の震源に一番近い牡鹿半島周辺では、東向きの地殻変動が1.5m程度にまで成長した後、20秒ほど停滞し、その後の約40秒で5mを超える地殻変動に至ったことを記録していたのでした。このすさまじい地殻の変動は、目にすることは出来ませんでしたが、時間的な経過とともに地表面が大規模に移動する様子を目の当たりにする思いにさせられます。この詳細は国土地理院のホームページhttp://www.gsi.go.jp/cais/chikakuhendo40010.html)において動画で見ることができます。

 また、最近の国土地理院の報告を見ると、地震直後から、3年を経た現在でも月に1cm程地殻変動は続いており、牡鹿半島付近での水平の変動量(図1)は、地震時に変動した方向へ、累計で95.1cmも移動しています。また、垂直の変動量は32cmの隆起(図2)を示していますが、地震時の沈下量(約1.2m)に対して、その量まで復元するには至っていないことが分かります。

大規模な地震災害により、被災者の計り知れない大きな傷跡とともに、この地殻の変動が静穏になり、傷跡の癒される日が一日でも早く訪れることを願っています。



jmcblog at 08:00 

2014年02月27日

地球33番地は、高知県高知市弥生町にある、旧日本測地系の北緯333333秒、東経1333333秒の地点の愛称です。その場所は江ノ口川の中でしたので、昭和37年(1962年)5月に高知ロータリークラブが提唱して、川岸に白いモニュメントが建設されました。もう50年以上たっています。平成5年(1993年)には、江ノ口川の中にシンボルが建設されました。こちらももう20年以上たちました。地理院地図では、この位置に記念碑の記号が表示されています。経緯度の表示で同じ数字が12個も並んだ地点は世界に10カ所ほどありますが、ほとんどが砂漠や大平原などの地点であり、通常の手段で行けるのはここだけだそうです。

3にちなんで、平成333日に「地球33番地」実行委員会が発足し、実行委員会により、毎年33日に記念式典が開催されています。その前後にイベントも行っており、今年は32日(日)に『環境を考えるウォーキング』が開催されます。スタートは1033分で、江ノ口川河畔の3kmほどのウォーキングですが、完歩者全員に『地球33番地到達証明書』が発行されるそうです。(募集は333名でしたので締め切られています)まさに3づくしです。


地球33番地シンボル
江ノ口川の中に設置されているシンボル 「地球33番地」実行委員会のホームページから

世界測地系での北緯333333秒、東経1333333秒は、この場所から450mほど南東のところとなるのですが、実行委員会では旧日本測地系の江ノ口川の中の場所を「地球33番地」と認定して、今後も活動されるとのことです。

地球33番地位置地理院地図に加筆


jmcblog at 16:32 

2014年02月19日

213日(木)の朝日新聞朝刊の科学面の「探究人」の欄に、地図地理力博士の上野将司さん(66)が載っていました。地図地理検定を受験し続けており、2年前に地図地理力博士になられた方で、受検し続けたのは「知識が身につくのが楽しい」からだ、とありました。上野さんは地質調査のコンサルタントに永年勤められ、地図が常に手元にあったとのこと、最後に「アリの目で現場を歩き、鳥の目で地図を見る。漏れのない調査を心がける。」と新聞の表題の“地球の医者、生涯現役で”宣言でまとめられていました。主催者の(一財)日本地図センターと(公財)国土地理協会の名前が載っていなかったのは残念でしたが。

地図地理力博士写真朝日新聞デジタルより

地図地理検定は、今まで20回行われ、博士が25名誕生しています。検定は「一般」と「専門」に分かれ、「一般」は合格、不合格の判定で、「専門」は、1級から3級までの判定を行います。博士になるには、専門の試験で96点以上取るか、80点以上の1級を5回取る必要があります。全部で50問出ますので、40問以上の正解が必要となり、幅広い知識と経験が必要となります。上野さんは1級を5回取られましたが、自身の最高点は88点だったそうです。受検されていない方は、次回は622日(日)ですので、ぜひ挑戦して下さい、リピーターは、1000円引きです。

今まで検定の問題はすべて4択だったのですが、問題策定、合格判定等を行っている「地図地理検定委員会」では、次回の検定から、問題の自由度を広げるなどのため、「専門」の一部の問題に記述式の導入を検討しています。決まりましたら、パンフレットや主催者のホームページ等でお知らせします。



jmcblog at 12:58 

2014年02月12日

 グーグル(株式会社)は先月16日、以前より公開していたサービスのひとつである「Google Earth」において、東京都/神奈川県/千葉県/宮城県の主要エリアの「新しい3Dマップ」を公開したと発表しました。既に本発表については、様々なニュースサイトで取り扱われているので、既知の方も多いのではないでしょうか。


JMC(3D_MAPS)


 上の図は、新しい3Dマップで見た(一財)日本地図センターです。この図だけではわかりませんが、この新しい3Dマップでは、東西南北の方向から都市を俯瞰でき、各建物の側面や、視点移動で手前の建物の陰に隠れた建物も見えるようになります。また、図に見えるビルディングのような大きな建物だけでなく、一戸建ての家屋や、街路樹まで細かく再現されています。これまで、Google Mapsで把握できない建物の外観や地形の凹凸は、Street Viewや、他社のサービスを利用する必要がありました。また、Street Viewでも、車道周辺の情報しか確認できなかったため、歩行者の「目的地周辺のイメージを予習したい」というニーズに対して、完全に応える事が困難でした。

この新しい3Dマップは、こうしたグーグルが従来から提供してきたサービスでは手が届かなかったニーズを埋めると共に、従来の紙面に描かれた地図とは異なる、新しい地図の可能性の先駆けになるのではないでしょうか。



jmcblog at 08:00 

2014年02月05日

この言葉は、先日の115日の夜1055分から25分間のNHKの「探検バクモン」で、爆笑問題の2人とゲストの荒俣宏氏の3氏の進行で放映された中で流されたものです。この番組は毎週放映されており、今回の場所は、前週と同じ国立国会図書館での探検でしたが、その中の約50万点のコレクションを誇る世界有数の地図書庫の探検でした。国会図書館は、行かれた方はわかりますが、見たいものを依頼して、係員が書庫から出してくるのを待って見るだけしかできず、持ち出せません。しかも必要なところのコピーも資料の傷みが無いようにか、それとも著作権の問題なのか、専門の人がコピーするなど、厳重な管理がなされています。貴重な資料なのでやむを得ないのですが、大変時間がかかるシステムとなっています。これらを保管管理する地図書庫は、一般の人は入れないまさに秘密の場所でした。

“地図は歴史の真空パック”は、爆笑問題の太田氏が育った埼玉県上福岡市のある2万5千分の1地形図の「与野」の大正時代の地図を見ているときに流れたナレーションです。“真空パック”と言う言葉が、閉じ込めて保存していることの現代的な表現となっており、誰でもわかるうまい表現だと思いました。

 その他面白かった表現に、“ここで暮らしちゃう”と言うのがありました。これはこの書庫に入った時に、地図好きのタモリさんの話が出て、爆笑問題の太田氏が彼のことを言っていた言葉です。地図好きの者にとっては、ここで暮らさなければ堪能できない膨大な量の地図、多種多様な地図が有ることを表現しており、温度湿度も快適に保たれ、まさに適切な表現だと思いました。

 荒俣宏氏は、小説家と言うよりタレントと言った方が良いかもしれませんが、彼の小学校時代過ごした昭和25年ごろの東京都の板橋付近の空中写真が出てきた時に、“完全にグーグルだ”と叫んで当時の自分の家を見つけていました。若い人はともかく、60代後半の人でも空中写真を見て、“空中写真だ”と言わずに“グーグルだ”と言っていたのには、少し残念に思いました。正確には“真空パックのグーグルだ”かも知れませんが。

 なお爆笑問題の田中氏は、東京都中野区の出身で、付近の大正時代の2万5千分の1地形図を見て、中央線で中野の次が荻窪で、その間の高円寺と阿佐ヶ谷がないことと、近くに今は公園となっているところが、当時は「豊多摩監獄」があったことに驚いていました。

詳細な放送内容はこちらをご覧ください→ NHKサイトへ


jmcblog at 08:30 

2014年01月27日

お正月が過ぎ、えべっさんが終わると、今年も117日がやってきました。阪神・淡路大震災の発生から19年。今年も各所でさまざまな追悼の集いが行われました。

兵庫県では117日を「ひょうご安全の日」と定めています。今年も、震災の追悼とともにその経験や教訓を継承するための「ひょうご安全の日117のつどい」が人と防災未来センター(現在の地図の中央付近、水で囲まれた建物)で行われました。この施設は阪神・淡路大震災を記念して作られ、災害・防災の研究機関であると同時に、展示スペースでは当時の揺れを再現した映像や災害当時の資料の展示、語り部の方から当時のお話を聞けるコーナーなどがあり、神戸を訪れる修学旅行や社会見学の児童・生徒が大勢訪れる観光教育施設となっています。
HAT周辺「神戸首部」範囲H26年1月地理院地図

人と防災未来センターは、HAT神戸と呼ばれる区域にあります。『東部新都心(HAT神戸)は、神戸市の中心市街地である三宮から東へ約2kmの臨海部に位置する、東西約2.2km、南北約1.0kmの区域です。東部新都心の整備計画は、平成76月、阪神・淡路大震災からの復興をめざす、「神戸市復興計画」において、シンボルプロジェクトのひとつとして位置づけました。』と神戸市のサイトに説明があるように、早くから復興住宅が建てられ、神戸防災合同庁舎や兵庫県こころのケアセンター、赤十字病院など、有事に備える施設や医療研究施設等も設置されています。

HAT周辺「神戸首部」H2年修正

この土地には大正6(1917)5月に川崎造船所(後の川崎製鉄)が設置し、約80年にわたって製鋼・製鈑工場として生産を続けた「葺合工場」がありました。震災でこの工場も被災したのですが、それ以前から工場の閉鎖は決まっていて、跡地の開発計画がなされていた、そのさなか震災が起きたのです。復興計画において通常ならばまず用地の確保から行わなければならないところ、そのような経緯からこの地区は、結果的に震災前とまったく異なる広大な新しい街並が広がる地区となりました。

HAT周辺「神戸」假製2万M18年測図

もともとこの場所は、明治時代に作られた埋立地。現在はさらに神戸港内の埋め立てが進んで海を挟んでさらに埋立地が広がっていますが、明治18(1885)年測図の假製2万「神戸」を見ると西国街道より南には砂浜の海岸線が続いており、現在とはかけ離れた海岸線を形作っていたことが分かります。現在の場所が昔のどこになるのか、判断するときにいい目印になるのが神社です。現在の地図をみると、国道の北側に「敏馬神社」という注記があります。(地理院の地図には“みるめ”と仮名がふってありますが、現地の説明板には“みぬめ”とかかれています。)明治18年の地図には神社名の注記はありませんが、「岩屋村」という注記の下に円周率のπに似た神社記号が描かれています。神社の位置を目印に見比べてみると、完全に現在のHAT神戸は明治時代には海の上です。

 19年前の地震だけでなく、空襲や水害にも見舞われてきた神戸。地図で読める変化は実際にその街で暮らしている人たち一人ひとりの想いまでは表しきれませんが、傷ついた街をよりよくしようと努めてきた方たちの想いが重なって現在につながっている。港に響き渡る追悼の汽笛を聴きながら、生まれ変わる街の歴史を想いました。



jmcblog at 08:30 

2014年01月22日

 街に出ての昼食は、サラリーマンにとって、職場を離れ開放感を味わえる貴重なひとときである。先日、同僚と定食を出す小奇麗な料理店に入って、料理を待つ時間、テレビを見ていた。すると、画面に浦島太郎の「竜宮城」を思わせる建物が目に入った。私は、そこが日本のどこであるか即座に理解することができた。若い時に測量で訪れたことがある、九州武雄温泉に風変わりな建物が鎮座していたのを思い出したからである。ただ、40年も前の話で、現在では想像がつかないほど派手な朱色と白壁に装飾され、「これが何故、ここに?」とはじめて見る人は奇異に感じられるほどの派手さかげんである。

 なんと、これは、国指定重要文化財でお色直しされたばかりの「武雄温泉楼門(リンク)」で、あの東京駅を設計した日本最初の建築家、「辰野金吾」の設計によるものであることを紹介し、さらに東京駅完成直後に故郷の地に建設された小作品であったことをテレビは告げていた。昨年、約100年前の赤レンガ造りの駅舎に復元した東京駅には、干支(えと)が八つしかいないことが話題になっていたが、この武雄の干支をあわせると十二支が勢ぞろいするというから面白い。

 ところで、辰野金吾は、明治にロンドンから日本の工部大学校へ招かれた24歳の若き青年お雇い外国人のジョサイア・コンドルの一番弟子として、東京駅、日本銀行本店、などの数多くの建築をてがけ、日本の近代化に貢献したことは知られている。

 このコンドルの一番弟子で一期生の4人の中に「佐立七次郎」がいる。多くの建物の設計を果たしたが、戦災等によって形あるものとして残っているものは数点しかないが、日本の高さの基準として今もその機能を果たしている「日本水準原点標庫(下画像)が国会議事堂前の憲政記念館前(旧陸地測量部前庭)に現存している。

日本水準原点




jmcblog at 11:25 

2014年01月07日

年末年始には、各種の地図をあしらったカレンダーが配られています。今回一番目に留まったのが、宇宙から見た夜の地球のカレンダーでした。全体が夜で、海岸線がわずかに見えて世界地図だと分かり、東京など都会が明るくなっている地図のカレンダーです。

また“印象に残る日本の情景”として日本の地図の上に位置を示し、24カ所の情景を周辺に配置したカレンダーも印象的でした。ほとんどのところは行っていましたが、行きたいと思っていた札幌の「モエレ沼公園」が載っていたので、今年中には行きたいと思いました。

その他、大手家電メーカの「コジマ」が、昨年11月新聞チラシに“ご来店記念”として日本地図をあしらった2014年カレンダー20万枚の配布を行うとありました。早速近所の「コジマ」に行ってもらってきましたが、店に行くと“毎年恒例の日本地図カレンダー”と表示されていましたので、今回が初めてではなかったようです。

カレンダーは、北海道から九州までインセットなしに入っていましたが、そのほか沖縄などはインセットでした。このカレンダーには暦のほか、世界文化遺産の名前とその位置、主な世界の都市の緯度、夏冬の五輪開催地、都道府県の花など地図に関係するものが載っていましたが、最も気に入ったのが「馬の雑学」です(図の右上)。それには、睡眠時間が1日3時間、視野は350度、鼻だけで呼吸などが載っていました。

2014カレンダーコジマ


jmcblog at 12:00 

2013年12月27日

2014年・午年にちなんで「午」の付いた地名の問題です。「午」(うま)という字(あざ)のある市町村はどこでしょうか。たぶん全国でここだけです。

 答は新潟県の十日町市です。北越急行ほくほく線美佐島駅近くにあることが、十日町市のホームページで確認できます。
 ちなみに十日町市には子、丑、寅(寅甲、寅乙)、卯、辰(辰甲、辰乙)、巳(巳甲、巳乙)、午、未(未甲、未乙)、申(申甲、申乙)、酉(酉甲、酉乙)、戌、という字名があります。残念ながら亥の字名はありませんでした。

 国土地理院の「地理院地図」で「午」の字の地名検索をすると51か所あり、その中で福島市にあった「初午山」 という名前の山を載せます。

初午山
(画像をクリックすると「地理院地図」に飛びます)


 また「午」で地図に関係したものとしては、「子午線」があります。ご承知の通り「子」は北、「午」は南の方位を示しており、「子午線」は今では地球の北極と南極を結ぶ線を言いますが、言葉ができたときにはもっと単純に南北線を表したものと思われます。ちなみに東西線は卯酉線(ぼうゆうせん)と言うらしいのですが、私は使われているのを見たことはありません。そのほか「午」の月は旧暦で5月、「午」の刻は昼の12時を中心とする2時間、「正午」の由来です。



jmcblog at 08:30 

2013年12月25日

  本年11月24日に実施した第20回地図地理検定(一般)にて、下記のような問題が出題されました。

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第20回地図地理検定(一般)出題問題 
 ※一部文章改
 同じ場所で、発行年が違うA~Dの4枚の地形図があります。発行年の古いほうから新しいほうへ順に並べたとき、正しい順番はどうなりますか。
(2万5千分1地形図「小牧」:昭和62年、平成8年、平成14年、平成24年)

選択肢


(正解は本記事の最後にあります)


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 この地形図は、愛知県小牧市にある「桃花台(とうかだい)ニュータウン」周辺を示したものです。桃花台は、名古屋市中心部から北北東16kmほどの距離にある郊外型の新興住宅地です。
 AおよびCの地形図に描かれている鉄道は、2006年まで営業していた「桃花台新交通桃花台線(以下、ピーチライナー」という路線です。ピーチライナーは、「新交通システム」や「AGT(Automated Guideway Transit)」と呼ばれる小型のゴムタイヤ式車両を用いた高架鉄道でした。同種のものには、東京の「ゆりかもめ」や大阪の「ニュートラム」などが挙げられます(※1)

  桃花台新交通 (「地理院地図」を加工して作成)
A:小牧駅 B:小牧原駅 C:東田中駅 D:上末駅 E:桃花台西駅 
F:桃花台センター駅 G:桃花台東駅

 ピーチライナーは、桃花台ニュータウンへの足として1991年に開業し、わずか15年後の2006年10月に廃線となりました。現在のところ、日本の新交通システムで唯一の廃線事例となっています。
 では、なぜ廃止されてしまったのでしょうか。地図で桃花台周辺の交通状況を見てみましょう。
    桃花台周辺 (「地理院地図」を加工して作成)
 桃花台ニュータウン周辺には、西側に名鉄小牧線が、南方にJR中央線が通っています。ピーチライナーは路線の西側で名鉄と接続する形で建設されました。現在、名鉄小牧線は名古屋市側の平安通駅まで乗り入れ、地下鉄名城線と接続しています(※2)。しかし2003年までは、名古屋市中心部に向かう場合、名古屋市側の終着駅である上飯田駅から地下鉄平安通駅までの800mを徒歩で移動しなければなりませんでした。そのため、ニュータウン居住者は乗換えの不便さを敬遠し、南方にあるJR中央線・春日井駅まで自家用車で行き、そこから名古屋方面へ向かう手段を用いることが多かったようです。運賃や運転本数の面からも、名鉄経由と比べてJR中央線の利便性が圧倒的に高く、ピーチライナーの利用者を大幅に増やすことはできませんでした(※3)
 このほかにも、ピーチライナーは建設計画時、他の競合交通機関を考慮せずに需要予測を立てていたことや、桃花台ニュータウンの居住人口が当初の予想を下回ったことなどが、廃線に至った主な原因とされています(※4)。 このように、廃線の理由にはさまざまな要素がありますが、結局のところ、路線の建設ルートと沿線居住者の交通流動との間に乖離があったことが最大の問題であったといえます。
 ピーチライナーの線路が最初に地形図に掲載されたのは平成5年ですが、平成24年発行のものにはその表記がありません。地形図上では、わずか19年間しか載らなかったことになります。しかし、ピーチライナーの廃線跡は有効な活用方策も決まらないまま、現在も廃止当時のまま放置された状態となっています(参考→Googleストリートビュー

※1:ただし案内軌条の方式は異なる。
※2:上飯田〜平安通間は名古屋市営地下鉄上飯田線
※3:〈参考資料〉森川高行・永松良崇・三古展弘「新交通システム需要予測の事後評価―ピーチライナーを事例として―」運輸政策研究,7-2,2004年
※4:Wikipediaによれば、ニュータウンの計画人口は当初54,000人、その後40,000人に修正。小牧市ホームページによれば、2013年4月現在の当該地区の人口は24,908人。


問題の正解 D→C→A→Bの順


jmcblog at 09:20 

2013年12月16日

去る11月24日(日)、第20回地図地理検定が全国7都市会場にて一斉に実施されました(詳細は、12月4日付記事をご参照ください)。
 今回、受検された方より、ご自身の体験を踏まえた地図地理検定の楽しみ方について寄稿いただきましたので、ご紹介します。

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 職場の仲間たちと第20回地図地理検定(専門)を広島会場で受けてきました。初めての受検が第10回ですから、すでに5年が経過しました。今でも自己採点で「慌てずよく考えれば正解したのに」などと後悔することが多く、専門は難しいなと思います。それでも職場からの受検者は年々増えて、10名を超えるまでになりました。受検仲間が増えたことで、今では年2回開催される検定はすっかり恒例行事になりました。

/場風景(編集業務)私たちは地図制作会社に勤務していて、地図を作るための調査や編集をする現場にいます。でも地図会社だから誰もが地図の専門家という訳ではありませんし、大抵は日頃の忙しさなどから知識を磨くことを怠りがちです。
 初めは会社からの勧めがあって受検しましたが、その後がどうも続きません。そんな時、「検定は健康診断のようなもの、地図に関わる従業員なのだから定期的に受けたらどうでしょう。地図の理解が深まって仕事がもっと楽しくなりますよ」と先輩から受けたアドバイスが継続のきっかけになりました。

自分の実力を知る、力を試すなど受検の動機は様々だと思いますが、これに仲間同士で力を確かめ合うという要素が加わりました。もっと良い点を取りたい、もう少し力を付けたいという思いが継続に繋がりました。受検後は、はらはらどきどきの自己採点で一喜一憂します。居酒屋で賑やかに自己採点を始めたことで、楽しみがもうひとつ生まれました。試験問題を酒の肴に、仲間と語り合うひとときは格別なものがありま検定後の懇親会す。受検後の解放感を味わい、次も頑張るぞという気持ちを確認し合うこと...これも楽しみ方のひとつです。

(地図制作会社勤務・Y様)



jmcblog at 08:30 

2013年12月11日

約ひと月ほど前になりますが、1114日〜16日まで、「G空間エキスポ」が東京お台場の日本科学未来館で開かれました。テレビ東京系列で平日毎日夜11時から放映される小谷真央子キャスターのワールドビジネスサテライトでは、11月14日の放映でこの催しを取り上げていました。そして展示されているものの中で2つのことを紹介していました。

G空間エキスポ
 一つは自ら移動して位置情報を取得するロボットで、もう一つは回転しながらレーザーを当て位置情報を読み込む機械です。ロボットの方は、将来は情報を入手したうえで、荷物運びなどの手伝いを目指すとしており、機械の方は、立体的な地図を作ることができ、仮想空間と組み合わせることにより、タブレット端末などの立体の建物などを浮かび上がらせることができる、などの説明がありました。

またその次の15日には、特集で“売られる位置情報”の特集を行い、通信や鉄道サービスを使うたびに記録される位置情報について、通信会社や鉄道会社は、その情報を社内で利用するだけでなく、外部の企業に販売し始めていることが放映されていました。情報取得の承諾、拒否の手続きをどうするか、位置情報から挙がる利益をどう分配するか、課題もまだあるとのことでしたが。

さらに3か月ほど前の92日の放映では、トップニュースで“地図の進化で新ビジネス”として、キーワードを“位置情報”とし、スマートフォンを使ったあるベンチャー企業の取り組みをも紹介していました。それはスマートフォンで流れたツイッターやつぶやきを位置情報付きで集めて整理するビジネスで、実際に横浜市の"開港祭り"の昼と夜の人出の状況をこのツイッターやつぶやきを集めて住宅地図上で分析し、特に人手の少ない日中のイベントを考え行したことが報告されました。またスマートフォンを使って、近くの図書館や本屋さんにほしい本の在庫があるかの検索の例も報告されました。
 このように“位置情報”取得技術の進歩とそのデータの利用の拡大は、今後の生活を変えるものとしてビジネス界で注目されていることを感じました。



jmcblog at 09:22 

2013年11月27日

2か月ほど前東京オリンピック2020の開催が決定しました。そこで“五輪”の付いた地名を、111日にリニュアルされ名称の変わった国土地理院の「地理院地図」で調べてみました。それによると自然地名では11カ所あり、その詳細は以下の通りです。

五輪山  3カ所 新潟県糸魚川市、長野県山ノ内町、
    広島県安芸太田町

五輪峠  3カ所 新潟県魚沼市、三重県松坂市、
    岡山県日南町、

五輪岩  1か所 群馬県安中市

五輪沢  1か所 群馬県中之条町

五輪平  1か所 長野県松本市

五輪高原 1か所 新潟県糸魚川市

五輪ヶ浦 1か所 長崎県対馬市
 呼び方については、「地理院地図」では日南町の五輪峠は、峠の部分に“ダワ”とルビが振ってありましたが、そのほかはありませんでした。別途調べると、五輪山については、糸魚川のが“ゴリン山”、山ノ内町のが“ゴリンサン”、安芸太田町のが“イツワヤマ”と異なっていました。図のように糸魚川市の五輪山は五輪高原とペアで表示されていました。

五輪山(糸魚川市)五輪峠 魚沼市
(左)新潟県糸魚川市の五輪山と五輪高原
(右)新潟県魚沼市の居住地名の五輪と五輪峠


居住地名については、“五輪”は岩手県盛岡市、宮城県栗原市、宮城県大河原町、宮城県色麻町、新潟県魚沼市、山口県下関市、長崎県五島市の7カ所にありました。魚沼市の五輪集落には、図のようにペアで表示されています。五輪峠が五輪塚など五輪に何かついた居住地名は更にありました。

なお「地理院地図」には載っていないが、五輪山については埼玉県飯能市と岡山県真庭市に、五輪峠については岩手県奥州市と遠野市の境と群馬県前橋市と沼田市の境にあることは確認しています。まだまだあると思います。



jmcblog at 14:24 

2013年11月12日

 アメリカでは、旅行者の利便を図ったり旅行計画の立案に役立つように、州政府の道路管理担当部門(Department of Transportation,以下 DOT)が州全体のハイウェー網が一覧できるような小縮尺の紙地図を印刷していたようですが、その印刷部数がかなり減少しているようです。

米国の雑誌、エスクワイアーのブログ

http://www.esquire.com/blogs/news/lament-for-the-highway-map

 が、50の州のDOTに紙地図のハイウェーマップの印刷について非公式に尋ねたところ、約半数から回答があり、例えば「在庫が多数ある」(テネシー州DOT)、「部数を減らして35万ドルの節税効果につながった」(ミズーリ州DOT)、「8月の州の行事で無料配布しているが、配布部数は低下し続けている」(ミネソタ州DOT)、「2008年以降、印刷サービスを止めたからといって、特段の苦情は受けていない」(ワシントン州DOT)など、その印刷にかなり消極的な結果が示されたといいます。似たような傾向はアメリカ自動車協会(AAA)や地図販売のランド・マクナリ―社でもみられ、AAAによれば、ドライバーの旅行計画に資するための紙地図やアプリケーションソフトについては、現地の不案内を心配するドライバーになお、好まれているといいます。また、ランド・マクナリ―社は、Web地図やアプリケーションソフトに影響を受けて、街区地図についてはかなり需要が落ちていますが、州レベルの小縮尺地図については、需要は落ちているものの、街区地図ほどではないといっています。

 シカゴ、ニューベリー図書館の古地図センター長のジェームズ・エイカーマンによると、20世紀には、州政府のみならず、石油会社、自動車クラブ、その他さまざまな組織が何10億枚という地図を印刷して、ドライバーに自動車旅行を促していたといいます。また、エイカーマンは、黄金期にあったハイウェーマップについて、単に行き方を示したものではなく、国全体を一覧することについて人々がどのように思っていたかを示すものだったと語っています。こうしたかつてのハイウェーマップは、古地図マニアからは1枚300ドルを下らない値をつけられるものもあるといいます。

 事情はどの国も同じようですね。



jmcblog at 19:46 

2013年11月06日

横浜市歴史博物館では、企画展「横浜市立大学コレクション古地図の世界 地球のかたちと万国の大地」を1124日まで開催中です。歴史地理学者・故鮎澤信太郎氏が収集した古地図で横浜市立大学に寄贈された地図など約60点が展示されています。
 全体的には、江戸時代の世界地図が中心ですが、こんな面白い地図もあります。

横浜市立大学コレクション古地図の世界 地球のかたちと万国の大地

●世界六大州(江戸時代 1853年以降刊)
  世界地図ですが、地図の周辺に「大人国」、「小人国」、「女人国」などの文字と人の姿が描かれています。
●万国航海図(江戸時代 1862年刊)
  宇宙から見ることができなかった時代に、これほど詳細に大陸の形がわかっていたのかと驚きます。
●マテオリッチ原図の坤輿万国全図(コンヨバンコクゼンズ)
  中国に渡来したイエズス会のイタリア人宣教師のマテオリッチが作った地図で、幻の大陸「メガランカ」が南極大陸から大きく伸びるように描かれています。
 

 一方、静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区)では、北海道の名付け親で幕末の北方探検家の松浦武四郎が残したコレクションが約600点所蔵されておりますが、そのうち125点が展示されています。展示は128日までです(詳細はこちら)。

注目されるのは、「東西蝦夷山川地理取調図(とうざいえぞさんせんちりとりしらべず)」で、多色刷りのこの地図は、1枚は経度緯度を1度ずつ区切ったもので、26枚を並べると縦2m40cm、横3m60cmの広さとなり、北海道、国後島、択捉島の地図となっています。伊能忠敬や間宮林蔵が測量した沿岸部のデータに、歩測とスケッチそれにアイヌの人々から得た情報に基づいて内陸部を詳細に表したものです。この地図では、川が流れる様子のほか山がある場所をケバで表現しています。



jmcblog at 08:30 

2013年10月29日

今回は3色刷りから多色刷りとなった印刷技術の変更について解説します。
 
 ポスターや写真などの印刷では、色の3原色(シアン、マゼンタ、イエロー)に黒を加えた4色で、あらゆる色を表現できます。これは、それぞれの色の濃度を下図のような網点に変換し、このパターンにインクを載せて4色を重ね刷りすることで、元の色を再現します。これをプロセスカラー印刷と言います。

AMスクリーン

 しかし、この方法ですと正しい濃度に対応させるためには、ある程度の大きさがないとだめなので、地図のように非常に細い線が多く使われる場合は、4色を重ね合わせた時に違った色になってしまったり、極端な場合は線が途切れたりしてしまいます。そこで、従来の地図印刷では、予め使用する色のインクを混合して作り、インクの重ね合わせではなく、ベタ塗りで画線を印刷する、特色印刷という方法がとられていました。

例えば25千分1地形図(3色刷)では、墨(黒)、褐(茶)、藍(青)の3色のインクを作り、ベタの線画の版にそれぞれの色のインクを載せて印刷することで、途切れや色ずれのない印刷を実現していました。

 新しい25千分1地形図(多色刷)では、多彩な色を使うので、それらを全てこの特色印刷で作ると、版の数も刷りの数も増えてしまい、コストが上がってしまいます。そこで、今回は、プロセスカラーで印刷する方式を採用しました。これが可能となったのは、最近の印刷技術の進歩によるもので、具体的にはFMスリーン技術と、CTP技術と呼ばれる技術です。
 
 FM
スクリーンとは、下図のような網点パターンで濃度を表す方式です。これに対して、従来の網点方式はAMスクリーンと呼ばれます。AMスクリーンは、網点の間隔(並び)は一定で、点の大きさで濃度を表します。これに対し、FMスクリーンは網点の大きさは一定で、点の密度で濃度を表します。

FMスクリーン

AMスクリーンでは、実際に細かい格子のスクリーンを原画像のフィルムにかぶせ、光を透過させると、原フィルムの濃度に応じて透過する光の量が変わり、網点の大きさが変わるので、写真工程で網点に変換できます。しかし、FMスクリーンのような網点を発生させるスクリーンは存在しません。そこで、元画像のデジタルデータからコンピュータで網点のパターンを発生させます。このソフトをドットジェネレータと呼びます。

ドットジェネレータでは、網点の並びもランダムにできるため、4色の版を重ねた時にモアレ縞が発生する心配もいりません。また、技術進歩によりドットの大きさを非常に小さくできるようになったので、細い線でも色の重ね合わせで表現できるようになりました。

 もう一つの技術進歩はCTP印刷です。これはComputer to Plateの略で、コンピュータのデータから直接印刷版を出力する技術です。製版フィルムを介したこれまでの写真工程では、像のにじみなどで、非常に小さいドットは再現が困難でしたが、CTPで可能になりました。また、フィルムのズレや伸びがないため、位置合わせが非常に正確で、地図のような細い線でも、色ズレを起こさず正確な印刷が可能となりました。

 従来の25千分1地形図は3色刷りだったので、版の数が少なく低価格でしたが、新技術の多色刷りへ移行したことで価格が上がってしまいました。しかし、まだ計画にはありませんが、20万分1地勢図(6色刷)、50万分1地方図(7色刷)、100万分1日本(9色)、500万分1日本とその周辺(9色刷)や、主題図など色数の多い地図では、多色刷りの方が安くなる場合もあります。

12月1日にはさらに10面刊行される予定と聞いています。今後の技術改良や、国土地理院の新刊の計画に期待しましょう。



jmcblog at 09:30 

2013年10月28日

前回は新しい地図はどこが変わったのかについてのブログでしたが、今回はリニューアルの経緯(なぜ変えたのか)と電子地形図25000との関係(デジタルデータと紙地図の関係)について解説します。

 25
1地形図は、全国をカバーする最大縮尺の地図として、50年ほど前から整備が進み、30年ほど前に全国整備が完了し、その後修正や更新が繰り返されてきました。その間いくつかの記号の廃止や追加がありましたが、地図の様式はほとんど変わらず、最も基本的な地図として親しまれてきました。今ではパソコンや携帯、カーナビなどでデジタルの地図が花盛りですが、山登りや教育、行政など依然として紙地図も広く使われているところです。

このように、デジタル地図のニーズが高まる中、紙地図のニーズも変わらずあるため、国土地理院では限られた予算の中でアナログもデジタルも含めた全体の作成工程を見直し、効率化・合理化を図る必要に迫られていました。

 平成216月に発表された「基本測量に関する長期計画」では、「地図等により国土を表す際の基準となる基本的な地理空間情報として、電子国土基本図等を整備する」と記述され、地図情報とオルソ画像、地名情報で構成される方針が示されました。

平成2310月に発表された「フレッシュマップ2011」や平成2411月に発表された「フレッシュマップ2012」では、まずベクトルデータである電子国土基本図を整備・更新して、これを基に「基盤地図情報」、「電子国土Web」、「数値地図(国土基本情報)」、「電子地形図25000」などの形で提供していくこととされました。
 印刷図の更新についても、電子国土基本図から作成する方法に順次移行して、平成25年度半ばから刊行を開始することとされました。

 このように、統合された地図作成体系では、電子国基本図が一番基となるデータとなります。その作成・更新には地方公共団体等の協力も得て、都市計画区域では縮尺25百分1に相当する精度、その他の区域は25千分の1の精度で、日本全国をシームレスにデータベース化しています。また、更新は市町村単位等で面的に更新する他、道路など変化した部分だけ項目単位で更新し、できるだけリアルタイムに近い形で更新されることを目指しています。

 一方、25千分の1地形図(多色刷)印刷図は、電子国土基本図から作られるわけですが、印刷図という性格から電子国土基本図が更新されても連動して直ちに更新されるわけではありません。従って、最新の地図画像データが必要な場合は、電子地形図25000をご利用頂き、印刷図が必要な場合は情報が多少古い可能性があることを了解して地形図を購入して頂くことになります。

しかし、これまでは地図の在庫がなくなった場合に、同じ原版から補給印刷していましたが、地形図の作成方法の変更によって、補給印刷の度に最新の電子国土基本図から印刷できるようになりました。従って、印刷図もこれまでよりは新しいものとなります。

 また、電子国土基本図が都市部では25百分1の詳細情報を持っていることから、これから作られる地形図も詳細な情報を表現しなければならなくなりました。そこで、平成242月から平成257月まで設置された「電子国土基本図のあり方検討会」で、使いやす表現方法が検討され、多色刷りによる多彩な色表現を用いた図式が決定されました。

 このように、紙地図としての25千分の1地形図(多色刷)、デジタルデータの電子地形図25000や電子国土基本図など、多様な形態で提供されるようになり、それぞれの特徴もあるので、必要に応じて使い分けて頂ければと思います。



jmcblog at 11:22 

2013年10月25日

国土地理院では、長年にわたって親しまれてきた3色刷りの2万5千分1地形図を、およそ50年ぶりに一新し、今後数年をかけて多色刷りの地図へ変えていきます。その第一弾として、11月1日に下図に示す10面が刊行されますので、この「地図の散歩道」で、新しい地図の特徴などを3回に分けて解説します。

刊行図

今回はその初回として、新しい地図はどこが変わったのかについて解説します。

 新しい地形図は、昨年8月30日から刊行を始めたデジタルデータの「電子地形図25000」とほぼ同等の内容で、都市部では2千5百分1の地図に相当する詳細な情報が盛り込まれています。また、これら詳細な情報を見やすく表現するため、これまでの3色刷り(黒、茶、青)から、多彩な色を使った多色刷りにしています。
 

地形表現では、等高線の他に緑色の陰影をつけて、立体感をより分かりやすくしています。黒色は、注記や建物記号、植生記号、道路など多くの表現で使われているため、建物については他の記号と区別できるように、従来の黒から橙色に変えています。また、従来は高速道路と国道だけを茶色に着色していましたが、新図では高速道路を緑、国道を赤、都道府県道を黄色にして、道路の区分を分かりやすくしています。さらに、国道番号は道路標識と同様に青色の逆おにぎり型に数字を白抜きにしています。路線名、駅名、橋名、トンネル名など、道路や鉄道に関係する注記は緑色にしています。


新しい地形図は、1枚330円(消費税込)で地図販売書店等から購入できます。今後毎月新刊が刊行され、数年で全国の地形図が新しい多色刷り地図に置き換わっていく予定です。実物をお手に取って頂き、感想などを地図センター宛にお寄せいただければ幸いです。

下の図は、試作された「高知」の一部と今回刊行される「奥多摩湖」の一部で、上が従来の3色刷り、下が新しい多色刷りの例です。

多彩な色表現で分かりやすくしていますが、特に都市部では盛り込まれる情報量が従来の地形図より相当多くなっているため、若くないと読むのが少しつらいかも知れません。


旧1旧2
従来の2万5千分1地形図(3色刷)
(クリックすると拡大図)

新1新2
新しい25千分1地形図(多色刷)

(クリックすると拡大図)



jmcblog at 09:00 

2013年10月21日

 2013年1月18日に行われた第183回通常国会における安倍総理の所信表明演説のなかで、“外交は、単に周辺諸国との二国間関係だけを見つめるのではなく、地球儀を眺めるように世界全体を俯瞰(ふかん)して、・・・戦略的な外交を展開していくのが基本であります。”と述べており、それ以降の外交は“地球儀外交”と言われてきています。

 総理の通常国会の演説の次の日の1月19日に行われた大学入試のセンター試験の国語の問題に、戦前の小説家である牧野真一の短編小説「地球儀」の全文が問題として出されました。この2つの事象は偶然でしょうが大きな場面に続けて出たので面白く思いました。ただその中では地球儀は、三尺もありかさばる邪魔な物、地球が丸いと表すもの、アメリカが日本の反対側にあることを表すもの、クルクルと回転させて遊ぶものなどとして表現されています。地球儀の表面的な状態を表していますが、一方では作者の地球儀に対する率直な感想であるとともに、作者の心の中をあらわしていました。

 なお10月15日に開かれた第185回の臨時国会の所信表明演説でも、“総理就任から十か月間、私は、地球儀を俯瞰する視点で、二十三か国を訪問し、・・・。”と述べ、地球儀の意義も強調されています。

 
 今後“世界を俯瞰できる”地球儀の存在価値が外交に限らず教育などにももっと取り入れられ、小説「地球儀」で示されている状況を改善し、さらに地図教育の重要性がさらに上がるように願っています。

地球儀グローバルプランニング
(画像:グローバルプランニングHPより)



jmcblog at 17:44 

2013年10月16日

地図は見ているだけで面白い。ならば魅せるデザインにも成り得るのでは? そう思って少しだけ意識して地図グッズを探してみるとたくさんの地図モチーフの商品が見つかります。
     図3
 わかりやすいものから行くとまずは電車関係。
東京メトロが本体の取っ手を引っ張ると、地下鉄路線図が巻物のように取り出せるようになった“インフォボ−ルペン”これは渋谷と池袋をつなぐ副都心線の開業1周年を記念して出した「オフィスグッズシリーズ」の一つで、10000系車両のフロントがキャップとなっています。また、何気ないものが実は地図というものもあります。たとえば一見すると代わり映えのないネクタイが実は裏を返すと地下鉄の路線図が描かれているものもあります。これで出先での乗り換えも困らない!?


 手前味噌ですが、(一財)日本地図センターでも地図地理検定の地図のマークのTシャツ、地図記号手ぬぐい、世界地図扇子などをネット販売しています。
 

      図1

そのほか、海図を再利用したレターセット、京都の地図が描かれた無印良品のハンカチもあります。このハンカチは現在は販売が終わってしまいましたが、京都の他にパリやニューヨークなどの都市が大判のハンカチに描かれていました。変わったものとして、スイスのトラックの幌をリサイクルしている鞄(FREITAG)でも地図柄は見つかります(私物)。トラックの幌のデザインにも地図を使用する会社がある、ということの裏づけでもあります。  

     図2
 地図は情報としてのツールであるとともに、人に見せる/魅せるものでもあります。いかにも地図らしいものから、「え、これも地図なの?」というものまで。地図の世界は奥深いですが、入り口はとても身近なところに溢れ、万人に開かれています。



jmcblog at 13:36 

2013年09月30日

      ねじまき鳥クロニクルノルウェーの森蛍
 10月のノーベル賞の受賞者の発表が近づくと、ここ数年日本で一番ノーベル賞に近い人と言われてくるのが村上春樹氏です。2009年から2010年に3分冊として出された「1Q84」やこの春出された「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」でも、村上春樹の独特の文学の世界を作っており、その反響は世界的にも大きく、今年もノーベル文学賞の呼び声が高い人物です。

 ところで彼の小説に中には地図関係のことを述べているものがいくつかあります。
 
 「ノルウェイの森」は今から約25年前の1987年で、上下で430万部を売る大ベストセラーとなったものです。この本の主人公の友達に、“突撃隊”とあだ名のついた人物がいますが、彼は国立大学の地理学を学んでおり、卒業したら国土地理院に入って地図を作りたい、旨の発言をしています。 
 またその後1999年に出された短編の「蛍」の中にも同様な場面が出てきますので、実際に彼の周辺にそのような人物がいたことが考えられます。国土地理院には、村上春樹の年代(1949年1月生まれ)の職員はもう退職していますが、登場人物に似ている人はいない模様です。
 また1992年から1995年に出版され第47回読売文学賞を受けている「ねじまき鳥クロニクル」は、3分冊と長い小説ですが、その中で、地図つくりの話が載っています。それは合わせて50ページを超える分量に上っている“間宮中尉の長い話1”、“長い話2”の段落の中にです。その中では、間宮中尉は、大学で地理を専攻し、旧関東軍参謀本部の地図を専門とする兵要地誌班に所属し、満州の地図づくりのほか、旧満州での調査活動を行った話が語られており、満州国西部国境付近の地図作成の時にモンゴルに越境してしまった話なども加わっています。
 
 今年こそノーベル文学賞を、と願っています。



jmcblog at 08:30 

2013年09月27日

三重県の伊勢にある伊勢神宮。今年は20年に一度の式年遷宮の年にあたります。今回で第62回を数え、第1回目は持統天皇4年、西暦にすると640年のことで、中絶した時期はあるものの1300年以上の長きにわたって続けられてきた神事です。『20年に1度の大祭、神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)は、正殿(しょうでん)を始め御垣内(みかきうち)のお建物全てを新造し、さらに殿内の御装束(おしょうぞく)や神宝(しんぽう)を新調して、神儀(御神体)を新宮へお遷し申し上げる、我が国で最も重要なお祭りのひとつ』と伊勢神宮のサイトでは説明されています。宗教的な詳しい説明は専門家に委ねるとして、20年ごとに新しい建物を造って神様に引っ越していただくと簡単に解釈してもバチは当たらないでしょう。

 伊勢神宮(“伊勢は付けずに「神宮」が正式名称)は、宇治の五十鈴川の川上にある皇大神宮(こうたいじんぐう・内宮)と山田原にある豊受大神宮(とようけだいじんぐう・外宮)を中心に構成された125の宮社の総称ですが、お引越しするのはその全てではなく、中心施設である正宮(しょうぐう)のみです。その正宮、どこに引っ越すかというと、正宮の隣に新御敷地(しんみしきち)と呼ばれる同じ広さの敷地が用意されていて、20年ごとに東西2ヶ所の敷地を交互に行ったり来たりしています。
  
 岼棒」S47修正測量 ◆岼棒」S52修正測量 「伊勢」H5部分修正測量

 直近3回の正宮の位置を旧版地形図で見てみましょう。
 左25千分1「伊勢」の昭和47年修正測量です。この時は東側の敷地に正宮が置かれています。昭和28年の第59回遷宮によって造営された正宮です。中は同じ図郭の昭和52年修正測量。が作成された翌年(昭和48)に行われた第60回遷宮後に作成されており、この時は西側の敷地に正宮が築かれ、東側の敷地は空き地の表示です。さらに右は、平成5年部分修正測量です。部分修正の部分について地形図には高速道路等を修正したと記載してはいますが、この年に第61回遷宮が挙行されており、それを踏まえて新しい位置(東側)に修正しています。今年遷宮が行われたのちは、地形図が修正される際には西側に正宮が描かれることでしょう。内宮の地形図だけを記載しましたが、もちろん外宮も20年ごとに東西に正宮の位置が修正されています。

今年が20年に一度の年とはいえ、神様がお遷りになるのが今年というだけで、このお祭り自体は前回行われた20年前からさまざまな儀式を重ねて大祭に至っており、今年の引越しが終われば、また次の20年後の遷宮に向けて準備が行われ、またその次の‥‥。こんなに長く続けられてきたことを想うと、神様の力にはそれを支え、伝え、守ってきた多くの人々の想いがこめられていることを感じずにはいられません。



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2013年09月24日

1_山手通り_標識(一財)日本地図センターのHPをご覧になった方には、地図センターの所在地を確認しようと案内図をご覧になった方も多いかと思います。地図センターは山手通りと玉川通りの立体交差の角にあります。この「山手通り」と「玉川通り」というのは、道路の愛称です。道路を管理している正式な名前では、山手通りは「都道317号」です。

2_玉川通り 山手通りの脇には、六角形の都道番号を示す形状で317号の数字を記載した標識や両方に矢羽がついて愛称名が記載されている標識が設置されています。また、玉川通りは、国道246号となります。最近では、国道では赤色の背景に愛称路線名が記載されている標識が設置されている場合もあります。

3_甲州街道 東京では、甲州街道や青梅街道といった江戸時代からの街道名を愛称名にした路線もあります。交差点前の行先表示板に横断する愛称路線が明示されている場合も多くあります。また、交差点の角にそれぞれの路線名がわかるように路線名の標識が設置されているので、目にした方も多いでしょう。

 ところで、この環状道路は、皇居の回りの「内堀通り」、「外堀通り」から数えて7番目の路線だから「環七通り」、8番目なので「環八通り」と呼ばれたのはご存知でしょうか。これらの環状道路の計画は、関東大震災の復興時に後藤新平によって計画されました。防火帯として緑地帯を伴う環状道路を作る計画が立てられ、内堀通りから環八通りまで計画されました。

 7日(土)の新聞には、都内の国道や都道の43路線の通称道路名が検討されており、年内には決定されると報道されました。これまでの愛称路線には変更がないようですが、新たに命名される路線が増えるようです。
 こんな道路愛称は、別に東京だけの話ではなく、大阪の御堂筋、名古屋の名駅通や太閤通、福岡の明治通りや国体通りなど全国各地にあります。調べたところ、この道路愛称は、全国に1万路線以上ありました。皆さんのお住まいの町にも道路愛称として呼ばれている通りがあると思います。

 さて、一番多い道路愛称の名前は何だと思いますか? 空港の前の道路を「空港通り」と呼んだり、国体が開かれた際に作られた通りを「国体通り」と名付けているところがありますが、これだと空港がある場所や国体が開かれる場所に限られます。
 街路樹の植物の種類で道路愛称にしている路線名もあります。この頃では、春先に白やピンクのかわいい花を咲かせるハナミズキが街路樹に増えてきました。私なんかは、これが一番多いのでは? と思いましたが、調べた結果は違いました。

 一番多かったのは、「中央通り」でした。町の真ん中を通る道路につけられていることが多いからでしょう。ちなみに、次は「駅前通り」でした。3番目は「けやき通り」、4番目に「さくら通り(桜通り)」と街路樹に由来する道路愛称が続きました。

 今回の調査では、道路の愛称を調べたため、商店街は含まれていません。商店街であれば、「銀座通り」が一番になったと思います。皆さんがお住まいの近くに、こんな道路愛称はありますか?



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2013年09月20日

マンハッタン島+東京5

 マンハッタン島といえば、東京の山手線内側の面積にほぼ匹敵する広さをもつニューヨーク市の中心部(上記左図:赤枠の範囲がマンハッタン島。右図:同縮尺の東京を比較として掲示)ですが、こちらのサイトに、マンハッタン島の3Dマップが掲載されています(下記参照。撮影の向きは上記左図・黒色の矢印を参照)。
 この3Dマップの手前には、ハドソン川に架かるジョージ・ワシントン・ブリッジ(上記左図・黒丸を参照)が見えます。

マンハッタン資産3D地図ver2

 3Dマップ、とはいっても標高を3D化したのではなく、人口統計データに基づき、純資産10万ドルごとに1cmを積み上げて、地区ごとにその高さを示した地図です。セントラルパーク(添付ファイルの左図:緑色の枠を参照)の東側に隣接する5番街(添付ファイルの左図:黒色の線を参照)には「マンモスタワー」が屹立していますが、その北側のハーレム地区は対照的に低くなっています。同サイトによれば、この3Dマップの作者がマンハッタンを選んだのは、「アメリカン・ドリーム」をある種、象徴しているからだと述べています。摩天楼の林立するマンハッタン島になぞらえて、数字の羅列に過ぎない人口統計データを地図に「立体的」に可視し、否応無く貧富の差を理解させる秀逸な地図表現です。



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