コラム

2015年08月07日

 一部の地図ファンの間で、今年7月から放送されているテレビアニメ「Charlotte(シャーロット)」(東京MXテレビ、MBSテレビなど、土曜深夜放送)が話題になっています。

 アニメ「Charlotte」は、特殊能力を発症した思春期の少年少女たちの運命を題材としたストーリーです。
 このなかで、登場人物たちが地図を使って話し合うシーンが度々登場するのですが、そこに映る地図が「地理院地図」だとして、地図好きの方たちが注目しているようです。

 架空の物語なので、地図上で示された場所はストーリーには直接関係はありませんが、登場する地図の地名を見る限り、実際の「地理院地図」の画像をそのまま使用している模様です。
 ただしウェブ上ではなく、紙の地図として卓上に広げられています。

 以前より、ドラマや映画・小説などのファンの間では、劇中に登場する場所がどこなのかを独自に探し当てたり、「聖地巡礼」と称して実際にその場所に行ってみたりする趣味が定着しています。
 このアニメの場合は、劇中の地図の登場シーンを、実際の「地理院地図」を用いて再現する様子が、地図ファンやアニメファンらによってSNS等に掲載されています。

 思わぬところで発見した地図ネタですが、このようなメディアを通じ、少しでも地図の世界を身近に感じてもらえる機会が増えることを期待しています。

(T)

 

jmcblog at 14:25 

2015年07月06日

 6月19日、千葉県香取市によって、伊能忠敬が残した国宝の測量記録や地図の計705点が、「世界記憶遺産」として日本ユネスコ国内委員会に登録申請されました。1800年から1816年の間に全国を測量した際、経緯や場所を記した「測量日誌」など146点と、原図や彩色地図、測量地の風景絵図など地図559点です。香取市が所有する「伊能忠敬関連資料」2345点のうち測量隊が直接作成したものに限ったそうです。


 香取市の申請説明によると、

“伊能忠敬はヨーロッパの技術と在来の技術を組み合わせ、欧米列強以外で初めて自国の地図を自国の人員のみで実測によって作成しました。忠敬のつくった地図は、ドイツ人シーボルトやイギリス海軍を通じて、ヨーロッパに正しい日本の姿を紹介するきっかけになりました。さらに、忠敬がつくった地図は明治政府が進める測量の基礎資料となり日本の近代化に寄与しました。申請資料は、こうした忠敬の事業を明らかにする資料であり世界的に貴重な資料である。” 

 としています。

高特殊図八丈島009
(伊能忠敬記念館ウェブサイトより)
 

「世界記憶遺産」は、歴史的な文章や絵画、音楽などが対象で、現在「世界記憶遺産」には、イギリスの「マグナ・カルタ(大憲章)」など301点が登録されており、日本からは「慶長遣欧使節関係資料」など3点が登録されています。

国内申請には、このほか第二次大戦中、外交官の故杉原千畝氏がユダヤ人に発行した「命のビザ」など16件が申請されました。国内選考を経て、来年3月にユネスコに申請され、伊能忠敬没後200の前年の2017年夏ごろにユネスコ本部で登録かどうかが決まるとのことです。ただ一度の申請できるのは一つの国で2件までですので、国内から出るのも大変な状況です。

(H)



jmcblog at 08:30 

2015年06月05日

本格的な登山シーズンを前に、八ヶ岳周辺の2万5千分1地形図が多色刷りになりました。
八ヶ岳周辺で6月1日に多色刷りになった地形図は、「霧ヶ峰」「竹野町」「南大塩」「信濃中島」「茅野」「八ヶ岳西部」「八ヶ岳東部」「信濃富士見」です。
(詳しくは、地図センターのHPをご覧ください。)
これで、八ヶ岳周辺の2万5千分1地形図は、ほぼ全て多色刷りで揃えることができるようになりました。

多色刷りは従来の3色刷りのものに比べると、339円と約60円値上がりしています(3色は278円)。
ちょっと高いなぁと思った読者の皆さんのために、登山をする際の多色刷りの(筆者の主観による)メリットを紹介したいと思います。

メリットその1:等高線が読みやすくなった。
読図初心者にとって、等高線を読むのはなかなか難しいものです。
特に登山となると、等高線の尾根、谷、勾配を読むことが必須となってきます。
多色刷りになって、地形に陰影が付けられたため、より立体感が得やすくなり、初心者でも等高線が読みやすい地図なっています。

メリットその2:建物の色が橙色になった。
建物の色が黒から橙色になったことにより、山小屋も橙色で描かれるようになりました。
茶色の等高線、緑色の陰影、橙色の山小屋がコントラストよく配置され、山小屋の位置が分かりやすくなっています。
橙色は、夜になると判別しにくいという意見もあるようです。

メリットその3:カラフルになり、親近感アップ?!
等高線や建物に加えて道路も、高速道路は緑、国道は赤、都道府県道は、黄で着色されるようになりました。
多色刷りという言葉通り、従来の地図と比較してカラフルな地図になりました。
これは、多くの人達が日常的に使っているネットの地図や観光地図と比較して劣らないカラフルさです。
今まで2万5千分1地図を使ったことない人や見たことない人たちにとって、より親近感がもてる地図になったのではないでしょうか。

今年の夏は、登山地図と一緒に多色刷りの2万5千分1地形図も持って行かれてはいかがでしょうか?
新たな発見があるかもしれませんよ!

行かれる山が多色刷りになっているかどうかを確認するには、以下のサイトをご利用ください。
 http://www.jmc.or.jp/map/ichiran/top.html

(U)


jmcblog at 08:51 

2015年03月11日

 2015年3月1日夜9時からのNHKスペシャル「史上最大の救出」〜震災・緊急消防援助隊の記録〜」で、東日本大震災直後の被災地における全国から集まった消防隊員の、主にヘリコプターによる救出の模様が放映されました。

 3月11日は現地の飛行基地には入れず、12日にやっと基地に入れたものの、対策本部もてんやわんやのため、要救助者の情報が来ない現状から、現場判断で、手を振っているなどで飛行中に求められた人だけの救助しかできませんでした。それでも1日何十人と救助でき、それなりの活躍はされていました。2、3日これを行っていると、災害対策本部もやっと機能してきて、徒歩で救助に向かった消防隊員などからの情報により、要救助者のもとに直接飛べることとなりました。その時の反省点として、けがをして動けない人、家の下敷きとなりヘリコプターからは見えない人など、緊急に救助しなければならない人を見つけられなかったことが挙げられていました。
 そこで必要なのは、生存者のいる可能性のある場所の絞り込みです。ほとんどの消防隊員が初めての場所ですので、土地鑑がありません。また災害前の地図も形状が大幅に変化しているのでそのままでは使えません。そこで、手を振れない要救助者を上空から探すにはどうするかが重要です。

 昨年8月の広島の土砂災害の場合、この反省点から災害後すぐに空中写真を撮影し、災害前の画像データと比較することで、生存者のいる可能性がある場所を絞り込む地図を作成していました。空中写真の上に、被災前後の空中写真から解析した高さデータの差分を求め、赤系がマイナス(流失等)、青系がプラス(堆積等)として表示し、流出した家屋や堆積した土砂の厚さを図化したとのことでした。この地図を使って優先的に捜索するところを割り出すことができたとのことでした。NHKもこの「捜索支援地図」に注目していました。

「捜索支援地図」参考: 防災科研ニュース No.186 11頁
http://www.bosai.go.jp/activity_general/pdf/k_news186.pdf (PDFファイル)

 現在多くの地域で航空レーザーなどで詳細な高さ情報が求められてきています。このデータを使って、大災害直後撮影した空中写真を迅速に解析することで、多くの命を救うことができます。「捜索支援地図」の迅速な作成が当たり前になることを期待しています。(M)



jmcblog at 11:22 

2015年02月13日

熱海市旗

 静岡県熱海市の市の旗に、温泉の地図記号に似た図柄が使われています。ほとんどの市町村の旗が、その市の漢字や読み方をモチーフにしているので、ユニークな旗となっています。

 熱海市は言うまでもなく「温泉」によって成り立っており、「楽天トラベル」調査の「2014年 年間人気温泉ランキング」で1位の町であるので、“なるほど”と思われます。ただ熱海市のホームページには特にこの旗についての説明はありませんでした。それでは2位の別府の市の旗はどうでしょうか。残念ながら別の字をモチーフにした普通の旗となっていて、温泉記号には程遠い図柄です。10位までのうち、6位に位置付けられている草津温泉(群馬県草津町)の町の旗は、温泉記号に似ています。
 草津町のホームページでは、“草津(クサツ)を図案化し、全体で豊富な温泉を表し、力強く円に並んだ9つの「サ」が双方から均等な力で支え合い、町民の和と協力で発展する町を表しています。”との説明がありました。温泉記号をモチーフにしたと言えます。

 
  
 同じ群馬県の磯部温泉には、温泉マーク発祥の地という碑が立っています。
 磯部温泉のある安中市のホームページによると、“万治4年(1661)、付近の農民の土地争いに決着を付けるため評決文「上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚」が、江戸幕府から出されました。その添付図には磯部温泉を記した温泉マークが2つ描かれていたのです。専門家が調査した結果、この温泉マークは日本で使われた最古のものと判明。こうして磯部温泉は温泉マーク発祥の地となりました。”とありました。

 他の地図記号も市の旗等に利用され、多方面で話題となることを期待しています。(M)



jmcblog at 08:30 

2014年12月08日

北方領土(歯舞、色丹、国後、択捉)の詳細な地形図は、5万分の1については戦前作成された5万分の1地形図を基に衛星画像を使って修正し、平成4年に出されていました。25千分の1地形図については平成22年から順次発行され、平成267月に全ての図面合計76面がそろいました。このうち、色丹島と択捉島の47面が、多色刷りの新図式で書かれています。


 もちろん北方領土に行って測量等はできませんので、地形図に表示している道路や家屋などは地球観測衛星からデータを取って表示しています。そのため25千分の1地形図には、“この地形図は、地球観測衛星の画像上で判読できた道路、建物等を表示したものであり、北方領土問題に関する我が国の立場にいかなる影響を与えるものではない。”とのコメントが必ず書かれています。また地形図には経緯度は描かれていますが、三角点や水準点は非表示とされています。

 この北方領土の地図の現状を広く知っていただこうと、121日から(一財)日本地図センターの1階の展示室で、『北方領土の25千分の1地形図全国完成記念の企画展示』を開いています。北方領土の25千分の1地形図に特化したミニミニ地図展です。
 この企画展示では、すべての北方領土の25千分の1地形図を見ることができます。それらを見て全体としては自然が大きく残された地域であり、山の中に湖や池が多く、風光明媚なことなどを思いめぐることもできます。また北方領土の面積や最も広い湖の名前など、地形図にあらわされた内容についての説明もあります。企画展示は来年1月末日(予定)まで行っています。近くにお越しの折にはぜひお立ち寄りください。お待ちしております。


無題図1





jmcblog at 08:00 

2014年11月27日

物理学者で随筆家の寺田寅彦氏が、昭和9年10月東京朝日新聞に掲載された、随筆「地図を眺めて」の冒頭で、『「当世物は尽くし」で「安いもの」を列挙するとしたら、その筆頭にあげられるべきものの一つは陸地測量部の地図、中でも五万分一地形図などであろう。一枚の代価十三銭であるが、その一枚からわれわれが学べば学び得らるる有用な知識は到底金銭に換算することのできないほど貴重なものである。・・・それだけの手数のかかったものがわずかにコーヒー一杯の代価で買えるのである。・・・』と書いています。今のようにインターネットなどで地図が簡単に手に入る時代でなかったことから、陸地測量部の地図は貴重なものであったと思われます。

当時ハガキが1銭五厘で、今が52円ですので、当時の地形図の代価13銭は、13銭×52円÷1.5銭=0.13×52×100÷1.5451円となります。現在の2.5万分の1地形図の値段339円(多色刷り)、278円(3色刷り)よりは高くなっていまが、現在の喫茶店のコーヒー一杯の値段に相当しています。
 最近の国土地理院発行の地形図等の販売枚数は年間100万枚を切っていますが、昭和40年代は500万枚を超えていました。この随筆の書かれた昭和9年頃はどれほど売れていたのかについて、「地図で読み解く日本の戦争」(竹内正浩著 ちくま書房)によると、大正10年は200万枚、昭和10年以降は500万枚を超えていたとありました。なお昭和12年以降は統計が途絶え不明となっているとのことでした。それにしても多かったと思います。

なお寺田寅彦氏は、“天災は忘れた頃にやってくる” という言葉でも有名で、生涯300近い随筆を書かれています。その中に「子規自筆の根岸地図」との題で、正岡子規が晩年寺田寅彦に、子規の自宅から洋画家の中村不折の家に行く道筋を描いてくれた地図について書かれているものがありました。また小説家の夏目漱石とも親交があり、10月1日より朝日新聞に再連載中の「三四郎」に登場する物理学者の野々宮宗八のモデルともいわれています。(M) 



jmcblog at 08:48 

2014年11月20日

和歌山県すさみ町の沖の「沖の黒島」に隣接する無人島に、「ソビエト」という名称が地元では以前から付けられていましたが、このたび「地理院地図」にも載りました。

 平成21年に定められた「海洋管理のための離島の保全・管理のあり方に関する基本方針」に基づき、わが国の領海や排他的経済水域の外縁を根拠付ける離島について、地図及び海図に名所記載のない離島への名称付与作業が進められてきました。平成23年度までに49の離島において名称がつけられ、平成26年8月1日には、新たに158の離島について新たに名称が決定されました。この中にこの「ソビエト」が入っており、「地理院地図」にも名称がつけられました。紀伊半島の南に位置しているので、領海などの根拠のためには重要な島となっています。

この「ソビエト」は沖の黒島の沖側に位置する10m×5m程度の、数人程度しか上陸できない小島で、近くの国道42号線(赤色に着色されています)からは見ることのできないところです。ただ釣り人の間ではよく釣れるところして知られているそうです。

 なぜ「ソビエト」なのかは、古くから釣り人の間で言い伝えられてきた名称だとのことで、“島や岩がそびえたっているように見えたからではないか”と話す人もいるようですが、定説はないようです。

 なお「地理院地図」には158の離島名称すべて載っていますが、刊行している2万5千分の1地形図には、名称が決定してから4か月ではわずかしか載っていないと思われます(「ソビエト」は確認しましたがまだ載っていません)。海上保安庁海洋情報部から出されている海図にも、158の離島名称が順次入れられてきており、海洋情報部のホームページでは現在39の名称が確認できましたが、まだ「ソビエト」は入れられていませんでした。

 今回の158の離島名称のうち、「ソビエト」以外におもしろい島はたくさんありましたが、5つ選ぶと以下の通りです。

ウカウプ岩(北海道斜里町・弁財崎) どのような意味があるのでしょうか
ヘソイシ(青森県八戸市・種差) 要石なのでしょうか
女神山岬南東小島(鹿児島県十島村・悪石島) 仮名で15文字、名前は大きい
フカヌシー(沖縄県渡嘉敷村・ウン島) ウンが付いている離島?
カラカサノイボ(山形県酒田市・御積島) どんな形かイメージがわきます

(M)



jmcblog at 09:50 

2014年10月16日

 今年のノーベル物理学賞は、青色発光ダイオードで日本の3氏が受賞され、うれしい限りですが、10月8日に発表されたノーベル医学生理学賞は「脳の空間認知に関する細胞の発見」で、米国出身のジョン・オーキフ・英国ロンドン大学教授ら3名に与えられました。これも地図にかかわるものとしては興味のあるニュースです。
 自分がどこにいるのか、ある場所から別の場所にはどうやって行くのかなど、人間の活動に空間認知が必須条件です。人間は、たとえば昼間は太陽の方向と時間で東西南北を、歩いたり車に乗っている時間で距離を認識して、頭の中で地図を作り現在地を把握しています。このような、細胞レベルでの「脳内GPS」の機能を明らかにしたことが今回の授賞理由のようです。
 なお「脳内GPS」という言葉は、英語では「inner GPS in the brain」という言葉ですが、GPSという言葉が受賞理由の中で使われています。まさか脳内のミクロな機能と、地球規模のマクロな機能が関係しているとは考えたこともありませんでした。 「脳内GPS」は、脳内の伝達にかかわる細胞と、その伝達システムに関係したポジショニングシステムであることまでしかわかりません。まだこの研究はラットでのレベルなので、今後研究が進んで、老人徘徊などの予防など人間の生活に役立つのではないかと想像しています。
 青色発光ダイオードが21世紀を照らしたと評価されていましたが、脳内GPSの研究は21世紀の健康、特に老人の健康を救うものと期待したいと思っています。(M)

jmcblog at 09:22 

2014年09月25日

表題は、爆笑問題の田中さんと太田さんの司会で毎週水曜夜10時55分から25分間放映されている、NHK番組『探検バクモン』の9月10日放映分のタイトルです。場所はつくば市の国土地理院、ゲストは芸能界きっての地図好きとして知られる、とよた真帆さんでした。とよたさんは『タモリ倶楽部』での巨大な日本地図模型の撮影で、昨年(一財)日本地図センターに来られています。

番組冒頭で、太田さんが地図・地理が好きでないので「来たくなかった」のコメントで始まりました。まず行ったところが「地図と測量の科学館」の庭にある、地球を20万分の1にして一部を切り取った形の直径20mの模型の上でした。その上に立って日本地図を一望しましたが、宇宙飛行士の若田光一さんが人工衛星から見た日本の大きさがちょうど見えるとのことでした。
 次に、となりに展示してある撮影用小型飛行機のところに行き、航空写真からの地図作りについて説明がありました。この飛行機には航空カメラが搭載されており、高度6,000mで飛んだ時に見える地上の状況が見えるようになっていました。現在のデジタルによる地図作りも、依然として図化や現地調査の部分などで、技術者の熟練が必要であることも強調されていました。その時、田中さんが“神業よ”と発言したことが印象に残っています。

次に地図収納庫に行き、貴重な伊能図が広げられました。私も永年国土地理院に勤めていましたが、初めて見ることができました。今年1月に同番組で国会図書館の地図書庫が放映されていましたが、その時“地図は歴史の真空パック”とのナレーションがあったことが思い出され、“地図として後世に残すことの重要性を改めて感じました。
 最後に巨大パラボラアンテナのところに行き、ハワイが毎年
6cm近づいているなど、宇宙の電波を使った地球規模の測量の話が出ていました。
 終わりに、太田さんが「最初、バカにしていた」との発言の後に「すごいスケールなんだなということと、博物館で感動したことで、やっぱりすごい」と、冒頭の「来たくなかった」も含め、最後はきちんとフォローしていました。なお、タイトルの“日本まるごと ハイ地〜図!”はタイトルしか放映されませんでした。(M)

↓番組ホームページ・2014年9月10日放映分
http://www.nhk.or.jp/bakumon/prevtime/20140910.html



jmcblog at 08:00 

2014年09月10日

7月19日の朝日新聞朝刊の第13面の『私の視点』に、題名のタイトルで“地理教育が今危機的な状況に置かれている”として、鈴木康弘名古屋大学教授(自然地理学)のご意見が載っていました。

要約すると「高校の「地理歴史科」は世界史、日本史、地理の3科目からなっているが、1989年に世界史が必修となり、日本史と地理は選択科目となったため、地理を学ぶ生徒の割合が減り、現在は半数程度にとどまっている。今年1月、安倍首相が国会答弁で日本史の必修を検討していくと表明したので、これが実現すると地理を学ぶ機会を失いかねない。地理は世界各地を観察し、人々の暮らしを知り、人と自然の関係や地域間のつながりを考える科目であり、地球環境や地図情報、気候変動や活断層研究など、現代的な課題も地理学者が支えている。「大局的な地球観や世界観」をつかみ、世界を俯瞰的に眺める能力は、リーダの資質としても欠かせない。そこで、日本学術会議が提唱しているように、日本史と世界史を統合した「歴史基礎」と、グローバル化に対応した「地理基礎」の実現を図るべきだ」ということです。

 鈴木先生が初めて国土地理院の業務のご指導をなされたのは、阪神淡路大震災直後、国土地理院が新しく始めた『都市圏活断層図』の作成からでした。当時から活断層研究の第一人者でした。まさに現代的な課題を地理学者が支えています。

 昨年8月に世界の地理学者が京都に集まって開かれた『京都国際地理学会議』のテーマは「地球の将来のための伝統智と近代知」でした。1,200年以上の歴史があり、地球温暖化の京都議定書が採択された京都で、世界の地理学者が議論を交わし、成功裏に終了しました。国際会議と同時に行われた世界の高校生が参加して地理的知能を競技する『国際地理オリンピック』では、残念ながら銀メダル銅メダル各一人と金メダル11名の中に誰も入りませんでした。底辺を広げていくことの重要性を改めて感じさせる結果だったと思います。

 (一財)日本地図センターでは、少しでもそれに貢献すべく、今年も“夏休み地図教室”等を行っています。おかげさまで、今年18回行われたほとんどの回が定員35組に達し、盛況に行われました。来年も続けていくこととしています。(M)



jmcblog at 13:34 

2014年09月01日

これは8月25日の朝日新聞夕刊に載っていた伊能図に関する記事のタイトルです。大日本沿海輿地全図(伊能図)に関し、蝦夷地は伊能忠敬の第1次測量では、函館付近に上陸し、太平洋岸の根室の近くの別海町西別までしか行っていないため、そのほかは間宮海峡を発見した間宮林蔵が測量した結果を利用した合作であるのが定説でした。それに対して伊能忠敬研究会が、この定説を覆す内容で、蝦夷地は全て間宮林蔵の測量結果であると18日発表しました。

その根拠は、下図のように伊能忠敬の測量した海岸線と伊能図の最終版との海岸線がほとんど一致せず、ズレは最大数kmあったことからです。以下の図は朝日新聞に載っていたものですが、赤が伊能忠敬の測量した海岸線、青が伊能図の最終版の海岸線で、新聞には書いてありませんでしたが、形から言って、襟裳岬周辺と推定されます。

図1


右側の地図は国土地理院発行の20万分の1地勢図を縮小したものですが、やはり青の伊能図の最終版の方が正確であることがわかります。

また伊能忠敬は第1次測量で南側だけしか測量していないこと、間宮林蔵は蝦夷地を測量したデータを1817年に伊能忠敬に引き継いだとされているからです。間宮林蔵は伊能忠敬から測量を学んでおり、また幕府の役人であったことから、大日本沿海輿地全図の作成に協力したことは推定できます。間宮林蔵の測量結果については残っていませんが、伊能忠敬研究会の渡辺一郎・名誉代表は、「最初の測量で自信がなかった第1次のデータでなく、間宮林蔵のデータを用いて正確な地図を作ろうとしたのでは」と話しています。第1次測量は、子午線1度の長さを測ることが最大の目的だったのかもしれません。



jmcblog at 19:32 

2014年07月31日

7月31日は、「土地家屋調査士の日」です。

 土地家屋調査士は現在17,000人以上いますが、2011年6月22日に、土地家屋調査士連合会は、7月31日を「土地家屋調査士の日」と定めました。7月31日は、「土地家屋調査士法」が1950年7月31日に、第8回臨時国会で成立し、同日付けで施行された日です。「測量の日」が、測量法の施行された日である6月3日に決まったことと似ています。

 土地家屋調査士の役割は、言うまでもありませんが、不動産の表示に関する登記につき必要な土地又は家屋に関する調査及び測量をしたり、それらの登記の申請手続の代理をすることなどです。その資格を得るには、法務省の職員として登記事務に関わった経験を基に法務大臣の認定を受けるか、法務省が実施する土地家屋調査士試験に合格する必要があります。ただし測量士及び測量士補等の有資格者は、午前の試験の平面測量と作図の試験は免除されます。毎年8月の第3日曜日に行われ、全体として合格率は6〜7%と低く、難しい試験となっています。

 試験に受かるなどして、土地家屋調査士となる資格を有する者が、土地家屋調査士になるには、「土地家屋調査士法」第8条及び第9条で、その事務所を設けようとする地を管轄する法務局又は地方法務局の管轄区域内に設立された調査士会を経由して、土地家屋調査士会連合会に登録申請書を提出しなければならない、とされています。土地家屋調査士会及びその連合会は法律によって制定された機関となっています。

土地家屋調査士バッチ 1951年に現在使用されている桐の徽章ができ、法務省関係であることから五三の桐が採用され、その中に調査士の「調」の文字では調停委員と間違えられるからと言う理由で、測量の「測」の文字を入れたそうです。

 また、1985年に登記特別会計が設定されたのに伴い、「登記印紙」が設定され、登記事項証明書関係の請求にはこの印紙を使う必要がありましたが、2010年登記特別会計が廃止されたことからこの印紙も発売されなくなり、通常の印紙を使うこととなりました。

 
登記印紙(1000円)に描かれている建物は、東京都千代田区霞が関にある旧法務省の建物で、国の重要文化財に指定され、現在は法務総合研究所及び法務図書館として利用されています。(M)



jmcblog at 09:00 

2014年07月28日

 日本テレビ系で毎週日曜日夜7時から1時間放映されている「ザ!鉄腕!DASH!!」は、TOKIOのメンバーを中心として約20年続くバラエティー番組で、“親が子どもに見せたい番組”の第10位に選出された人気番組です。

その中で、約2年前から始まった企画に「無人島の開拓」があります。この島は長さ1kmほどの横から見るとひょうたん型をした島ですが、“DASH島”と命名しています。かつては人が住んでいましたが、長らく無人島となっている島で、番組ではその島は公表していませんが、愛媛県松山市の西の海上約15kmに浮かぶ島です。そこをまず探索し、基地建設のためのトロッコ用線路を建設して、基地となる舟屋の建設が終了しました。現在は、そこに井戸からの水を樋で流す工事が始められています。

DASH島の地図

 地図の右側の島の中腹にある井戸から、左側にある舟屋まで樋で水を流そうという計画です。その中で活躍しているのが“手作り水準器”です。“手作り水準器”は樋の傾きの調節や継ぎ目のところの高さを少しずつ低くしていくための必需品でした。

6月1日放送内容の紹介ページ

 

使用方法は番組紹介ページの写真にあるように、たらいに水を張り、丸い盤の上に同じ高さの印の付いたものを水に浮かべ、盤を回して同じ高さのところを決めています。

初めて“手作り水準器”がテレビに出たのが今年61日の放映で、713の放映にも出てきました。うまく高さは決められてきたのですが、実際に樋に水を流すと、つなぎ目からの水漏れや曲がり角での水の落差のため水がこぼれるなどの問題で苦労していました。完成まではまだまだです。(M)



jmcblog at 13:34 

2014年07月16日

6月18日の地図の散歩道の“富士山頂は静岡県?未確定の県境に「住所」”では、3回連続して掲載された朝日新聞の記事を紹介しました。その概要は以下の通りです。

6月1日には、地理院地図では富士山頂付近の住所が静岡県富士宮市山宮と出ることが、6月4日には、このことに山梨県知事が「不適切」として国土地理院に是正を求める考えを明らかにしたことが、6月6日には、国土地理院はこれを受け、この付近の住所を表示する機能を停止させた、ことなどが述べられています。
 
 その後も2度、朝日新聞に続報が載ったので紹介します。

6月30日の夕刊では、“山梨県のネット地図 富士山頂は「静岡県」”とのタイトルで、山梨県がインターネットで公開している「まっぷde山梨」には、地形や地質がわかる土地分類図など複数の地図があるが、すべて富士山頂付近に県境線が引かれていることがわかりました。また住所検索でも山頂付近では「静岡県富士宮市」と表示される状態でした。山梨県企画課によると、このサイトの地図は「グーグル社」が提供するグーグルマップで、この4月から公開を始めたばかりでした。住所検索は表示されないように改められましたが、地図の修正や差し替えは費用の問題で難しく、しばらくはこの状態が続くとのことでした。

7月8日の朝刊では、“富士山頂は「静岡県」 24地図で”とのタイトルで、山梨県が7日、県が管理する24のウェブサイトの電子地図で、山頂を静岡県と表示していたと発表した、とありました。「婚活やまなし」、「企業立地情報サイト」などの24のウェブサイトの電子地図では県境線が引かれ、山頂付近は静岡と表示していましたが、地図データを提供している、「グーグル社」とオンライン地図の「マップファン」にデータを提供する国内2社に改善を求め、7日までに見通しがたった、と掲載されていました。

(参照)グーグルマップを使用している「やまなし産業立地コミッション」ウェブサイト

 地図では県境の表示がされ、最高峰の剣ヶ峰(富士山と注記がされている位置です)は明らかに静岡県側となっています。国土地理院の地図は昔から県境が表示されていませんし、最新の電子地図の地理院地図でも表示されていないのに、なぜ民間の地図がそのようになっているのか不思議です。ちなみにヤフーの地図は、県境が入っていません。国土地理院の地図を参考にしているのだと思いました。(M)


(参照)富士山周辺のヤフー地図



jmcblog at 13:19 

2014年06月18日

6月1日の朝日新聞朝刊では、このタイトルで社会面に載っていました。もちろん富士山頂は県境未確定で、今でも国土地理院の地図では県境は入っていませんが、国土地理院のネット地図(地理院地図)で、国内最高地点の剣ヶ峰は静岡県富士宮市と表示されることが、富士山研究で知られる明治大学非常勤講師である田代博さんが気付いた、と報じられました。田代先生は(一財)日本地図センター等が主催して行っている「地図地理検定」の検定委員長でもあります。

早速地理院地図で住所表示をさせると、下図のように静岡県富士宮市山宮と表示されました。

富士山頂1


 県境は、東側は小富士のところまでで、西側は剣ヶ峰付近までしか記入されていません。しかし、“静岡県富士宮市山宮”と表示されていました。国土地理院情報普及課によると、この表示機能帰属が未確定の地点は、近くの帰属が決まっている場所が表示され、「富士山の県境が確定したわけではない」と強調する、と掲載されていました。そのあと、山梨県富士山保全推進課も便宜的にどちらかの住所が示されても支障はない、と話していることも載っていました。

 6月4日の朝日新聞朝刊の社会面に、今度は山梨県知事の発言として、『富士山頂の“住所”表示「誤解を与える」』というタイトルで、3日の記者会見で、山梨県知事が「不適切」と語り、国土地理院に是正を求める考えを明らかにした、ことが載っていました。静岡県知事と山梨県知事は、昨年世界文化遺産に登録されたのを機に、今年1月山頂付近の5劼聾境を定めずに富士山の保全に協力していくことを明言していたことも載っていました。

 6月6日の同じく朝日新聞朝刊の社会面に、『富士山頂住所表示を停止』とのタイトルで、国土地理院はこの付近の住所を表示する機能を停止させたことがわかった、ことが載っていました。「富士山は特別な存在で国民の関心も高く、放置するのは適切でないと判断した」と説明したとも載っていました。

富士山頂2

6月4日以降、上記のような表示、すなわち剣ヶ峰付近は住所が表示されていなく、その下に“(付近の住所。正確な所属を示すとは限らない。)”が加わっています。この地区以外では、住所が今まで通り出るほか、( )書きの部分が加わることになっています。( )書きを入れるのは正確さを期すためでしょうけれども、永年地図に携わってきた私にとっては違和感があります。地理院の企画調査課長は、山梨県や関係自治体の意見を聞きながら、今後の対応を検討するという、とも載っていましたので、暫定的な処置だと思っています。まだ県境だから話し合いができますが、・・・・・。(M)

 



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2014年06月11日

 毎朝、「JR渋谷駅」まで電車を乗り継ぎ、さらに渋谷から田園都市線の「池尻大橋駅」近くの職場まで、約20分余りを徒歩で通っています。この徒歩での往復40分の運動は、貴重な時間であり、特に、都会の街路樹の新緑を眺めながらの往路は一日のはじまりとして、私はとても気に入った一時で急がずユックリと足を運ぶ毎日です。

 最近、ラジオで気に入った番組があり、これを録音し、イアホンを耳に、同じものを何度も聞くことがあります。すると今、耳にするこの話が、昨日は、これから200m程ずっと先の交差点で聞いたことを鮮明に思い出します。つまり、今日と昨日の聴いた同じラジオの話題が、違う場所で聴いていたことを思い出して、昨日との位置の違いを大変よく覚えていたことに不思議さを感じていました。

 そんなことをボンヤリ考えていた矢先、記憶と位置情報をテーマにしたNHKのテレビの番組がありました。これは、記憶と位置情報は、大変深い関係があるという番組で、地図や測量を生業としている当方としては、見逃せない番組でした。



その秘密は「場所細胞」の特性に起因しているということです。

ラットくんが登場します。ラットくんが空間の中を動き回るとき、脳の中で驚くべきことが起きていることが分かったというのです。

ラットくんが動き回るとき、ある場所を通るとある細胞が反応します。そして、また、10cm進むと今度、また、別の細胞が反応します。つまり、ネズミの場所細胞が場所一個一個を記憶しているのだそうです。そして再びそこを通るとアツ!ここ来たことあるある、ここで曲がるんだよね!・・と。

場所細胞


 「場所細胞」が動物で発達しているのは生き物として場所というものの記憶がものすごく大切であるからなのです。こちらに行くと餌がある、こちらに行くと天敵がいる。

この場所細胞なるものを生かせば記憶に残っているのを思い出すことができる。つまり、思い出し細胞!というわけです。

例えば アツ!何しに来たんだっけ!と思い出せない時も、元の場所に戻ると思い出したりしませんか?
 場所細胞は、その場所に差し掛かると勝手に思い出してくれる細胞です。ですから場所と関連づけて何かを覚えると、この場所を思い浮かべるだけで自動的に思い出されてきちゃう。これが、私がいつも不思議に思っていた今日と昨日との位置の違いをよく覚えている訳のなぞだったんです。

 ここでうれしい情報があります。
 それは、ロンドンのタクシーの運転手の脳を調べた研究の結果です。話題は脳の中の「後部海馬」の体積。これは、場所細胞が集まっているところで、その体積を調べると、長年タクシーの仕事をすればするほど増加しているという結果が出たのだそうです。何千何万の道と場所を覚えれば覚えるほど場所細胞がふえるというのです。つまり、年を重ねてもどんどん増え続けるということになるのです。こんな素晴らしい場所細胞という細胞を私たちは持っているのですから、大いにこの細胞の活用を今後考えていきたいものです。(H)



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2014年06月04日

4月24日の国土地理院のホームページに、“避難所等の地図記号を決定”とのタイトルで、国土地理院が、緊急避難場所や避難所(以下避難所等)を「地理院地図」などでわかり易く表示するための下図のような地図記号を新たに定めたことが載っていました。すなわち電子地図用の地図記号の出現です。多分初めてではないでしょうか。当面は地理院地図や内閣府の総合防災情報システムだけですが、広く電子地図への普及が期待されています。左側の場所の記号は、現在の避難所等で実際に掲示されている建物の記号と同じようなので親しみ易いのですが、右側の災害種別記号と組み合わせて表示されるので、少し複雑になっています。

避難所の地図記号修正付加
 なぜ避難所等の地図記号は電子地図用なのでしょうか。今回の発表では詳しくは載っていませんが、電子地図では避難所等の情報を速やかに表示し、変更があってもすぐ更新することができ、住民はスマホなどでいつでも最新の避難所等の情報を常に確認できるからだと思います。紙地図では、通常地図記号が2仍擁程度の大きさなのに、避難所等の地図記号は複雑なので5仍擁程度と大きくなくては表示できないこと、情報が固定化し、いざという時に現状の避難所等の情報を確認するのに不便だなどの理由があるのだと思います。

 この発表の2週間前の410日、国土地理院と国土交通省水管理・国土保全局及び内閣府(防災担当)の3者の連名で、「防災アプリの機能向上に向け公募を実施」として、“現在構築中の防災地図共用データベース(仮称)を活用して災害時の避難誘導等を図るための防災アプリ”の公募が始まりました。

 また次の日の411日には、国土地理院から「災害時避難誘導システムの共同実証実験業務」の企画競争の公示がありました。これは上記の公募された“防災アプリ”の機能向上を図るため、91日の防災の日でのデモンストレーション及び119日の和歌山県海南市での市民参加型の防災訓練での実証実験を効果的に行うための業務の公募です。

これらの動きは、昨年4月の災害対策基本法の改定を受け、市町村では避難所等を災害種別ごとに新たに指定・更新することが定められたことへの具体的な支援行動です。国として、現在の情報化社会に即した避難所等の情報の配信、取得、活用等を積極的に図っていることがうかがえます。地図にかかわる者として、この避難所等の情報が迅速に「地理院地図」に掲載され、広く活用されることを願っています。(M)



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2014年05月07日

 昭和を代表する小説家の一人である太宰治は、「地図」という題の小説を書いています。江戸時代初期、琉球国の王が5年もかけてやっと石垣島を征服しましたが、その祝賀のために訪れたオランダ人から贈られた地図には、石垣島はおろか琉球国も描かれてはいませんでした。オランダ人は“・・・この地図は大きい国ばかり書いたものですから、あまり名の知れてない、こまかい国は記入してないかも知れません、現にこれには日本さえあるかなしのように、小さく書かれていますから・・・”と弁明していました。それを聞いた琉球王は“名高くない小さい所は記入してないというのか”と言うのが精一杯でした。そのあとこのオランダ人の首をはね、琉球王の乱行は日増しに激しくなったこともあり、1年もたたないうちに石垣島のもとの兵に襲われ復讐されました。その後琉球王はコッソリと1そうの小舟でのがれて行き行方不明になり、地図は数か月後石垣島の王の屋敷の隅に落ちていたので、石垣島の王は珍しがって保存して置いた、で終わっています。
 文庫本10ページほどの短編ですが、頂点にある者が、ふとしたことで人間的な面を見せていることを書いた小説です。オランダ人と王の会話の中に、地図の本質も描かれていると思います。
 この小説は、大正14年秋に太宰治が仲間と一緒に創刊した同人雑誌『蜃気楼』の11・12月合併号に発表されたもので、当時の中学校3年生の16歳の時でした。16歳でよくここまで書けるのか感心しています。
地図太宰治

写真は太宰治生誕100年記念出版として平成21年5月に出された新潮文庫の『地図』初期作品集の表紙ですが、この中に「地図」など28作品収められています。この表紙から、「地図」が初期作品集の代表作だといっていることはうれしく思い、「地図」の代表的場面が世界地図であること納得できますが、オランダ人の首をはねるところが代表的場面であることは疑問が残ります。



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2014年04月23日

東日本大震災の被災地から、復興に取り組む姿を紹介する番組がありました。その中で興味のあるラジオ番組があったので紹介します。それは、北上川河口での牡蠣(かき)養殖に取り組むある漁民の話でした。

 この話を理解する上から一つ問題を解いてみてください。
 

東京湾と鹿児島湾の違いについて述べた文章ですが、この中で誤りの文章はどれか、4つの中から1つ選ぶ問題です。

1.東京湾と鹿児島湾の面積はほぼ同じである。

2.東京湾に流入する河川の数は、鹿児島湾に比べて10倍多い。
3.鹿児島湾の海の色の方が東京湾の海の色より青い。
4.鹿児島湾で獲れる魚貝類の方が東京湾で獲れる魚貝類より数倍多い。

鹿児島湾と東京湾


答えは下の塗りつぶし文を選択し、色を反転してみてください。
 火山の爆発によって出来た湾である鹿児島湾には、青くきれいな海に関わらず、河川の流入数が少ないため、魚貝類が少ないのだそうです。一方、東京湾は2年で真水になる程の途方もない水量の河川(16河川)の流入があり、海の色は良くないが、鹿児島湾の30倍の魚貝類の収穫があるのだそうです。よって正解は4ということになります。


 本題ですが、牡蠣養殖再生に取り組む北上川の漁民は、以前は魚貝類を育てる養分は太平洋の沖の方から来ると思っていたそうなのですが、実際には反対側の方、つまり森林から養分を得ていたことが近年になってわかってきたということです。
 東京湾で言えば、そこに注ぎ込む川の背景は武蔵野の雑木林だということになります。
 つまり、生き物が住む、落葉する広葉樹林の森から流れ出る川には、沢山の養分が豊かにあると言うことで、「森は海の恋人」と言えるのです。気仙沼の河口で開始された牡蠣養殖の復活は、今は牡蠣を海に吊るす筏(いかだ)作りから開始されていますが、海から遠く離れた一関の山の植樹祭も例年のとおり実施されたとか。
 気仙沼の漁民の遠大な復興への取り組みに、スケールの大きさと生きた地理学を学ばせてもらった思いで、応援の想いをさらに強くした番組でした。



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2014年04月16日

 『逆向き列車』というテレビ番組が、テレビ東京などで放送されています。これから職場へ向かおうとする人に対して、突然、いつもとは逆向きの列車に乗って好きな場所へ出かけてみないかと誘いをかけ、その人に密着するというドキュメンタリーです。

その番組とは関係ありませんが、旅行先などで列車に乗った時、目的地の方向は頭で理解しているのに、列車が思っていた方向と全く逆の向きに動き出して戸惑った経験はありませんか? 地形的な制約や、建設時の事情により、目的地の方向とは異なる向きに線路が敷かれた例は多くあります。

根室駅周辺 JR
根室本線(花咲線)の終着駅である「根室駅」は、北海道本島の最東端に位置する根室市にあります。根室駅の線路は行き止まりなので、発着するすべての列車が折返して釧路方面に向かいます。しかし、根室市から見て釧路市は西にありますが、線路は駅から東側に伸びています。また、根室駅よりも東(南東)には「東根室駅」があります。根室本線の場合、根室市街地の南にある高台をぐるっと迂回するように線路が建設されたため、このようなことになっています。ちなみに、東根室駅は日本の鉄道における最東端の駅です。


宇都宮駅周辺首都圏の例では、栃木県の「宇都宮駅」からJR日光線で日光方面へ行こうとするとき、列車は北のほうへ動き出すはず…と思いこんでいると、南方向に発車するので、驚く乗客もいるようです。日光線は宇都宮駅から南に向けて発車した後、すぐに西に進路を変え、鹿沼市内から北西へ向けて山を登っていきます。


所沢駅周辺 方面が一緒なのに、列車によって逆向きに走り出す、という駅もあります。首都圏で代表的なのは、西武鉄道の「所沢駅」です。所沢駅では、池袋方面と新宿方面の2本の上り線が、1つの島式ホームを挟み込む形で発着していますが、池袋行きは北に、新宿行きは南に向けて発車します。地図で所沢駅周辺の線路配置を見ると、2路線が所沢駅でX字状に交差していることがわかります。ホーム自体を立体交差とせず、地平面上に線路を配置したため、このような現象が生じました。地図では方向がつかみやすいのですが、ホームに立っているとどちらが上りでどちらが下りか混乱してしまいそうです。

 また、新潟市のJR「新潟駅」では、同じ「長岡方面」であっても在来線(信越本線)と上越新幹線では進む向きが逆になります。もっとも、在来線は地平ホーム、新幹線は高架線なので、往来する列車をホームで見ているだけでは混乱することはないと思いますが。

このほか関西では、JR「奈良駅」を発車する大阪方面行きの列車が、大和路線(関西本線)経由と学研都市線(片町線)経由の列車で、それぞれ反対方向に進んでいきます。どちらも大阪市内では「京橋駅」に停車しますが、大和路線経由の列車は高架ホームに、学研都市線経由は地上ホームに発着します。さらに、大和路線経由であっても、途中の久宝寺駅からおおさか東線経由で京橋駅に向かう列車は、京橋駅の学研都市線ホーム(地上ホーム)に到着するので、より複雑になります。 

 比較的自由に動き回れるクルマとは違い、列車は決められた線路の上を走るので、線路が目的地の方向に向かって伸びていくもの…と錯覚しがちです。地図を眺めつつ、方向感覚を研ぎ澄ましながら列車に揺られるのも、また楽しみの一つではないでしょうか。

※図はいずれも「地理院地図」より



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2014年04月09日

4月5日、岩手県の盛駅から釜石駅までの三陸鉄道南リアス線36.6kmが、震災後初めて全線で再開通しました。釜石は、海上保安庁海洋情報部のホームページによると、明治5年海図第1号すなわち測量から製図まで、日本人のみによって初めて海図「釜石港」が作られたところです。船が頻繁に入港している東京や神戸でなくなぜ釜石港なのかは、当時開港していた東京と函館を結ぶ航路の中間補給地点として重要な港であったこと、また当時高炉による銑鉄の生産に成功しており、官営製鉄所建設の直前であったことがあげられています。なお明治5年には北海道東部の水深の浅い「野付湾」、釜石港と同じような岩手県「宮古港」、北海道積丹半島の南の「壽都(すっつ)港」、北海道西部の「小樽港」の全部で5図が刊行されています。また平成6年には、海図第1号の記念碑として「陸中国釜石港之図」(下記写真参照)が、釜石港を一望する石応禅寺の広場に設置されました。

海図第一号記念碑海図第一号釜石
   画像:海上保安庁海洋情報部のホームページから

  その他、国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所釜石維持出張所のホームページの“道の豆知識”では、伊能忠敬の三陸測量の軌跡として、ヽ石市の天文暦学者の葛西晶丕(まさひろ)が1801年に三陸海岸の測量を行った伊能忠敬を顕彰して建立した測量の碑・星座石、伊能忠敬の測量200周年を記念して2001年に建立された伊能忠敬海上測量之碑等について、写真入りで3ページにわたって紹介されています。国土交通省のホームページでこれだけ伊能忠敬について紹介しているのはこの釜石維持出張所だけだと思われます。

伊能忠敬海上引き縄測量之碑
伊能忠敬海上測量之碑 
国土交通省三陸国道事務所釜石維持出張所のホームページから 



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2014年04月03日

東京23区内に、区名と同じ駅名はいくつあるでしょうか?


 答は9駅です。JR(関係する私鉄等も含む)に、品川駅、目黒駅、渋谷駅、新宿駅、中野駅、板橋駅が、西武線と都営地下鉄に練馬駅が、東急世田谷線に世田谷駅が、京成本線に江戸川駅があります。平成6年まで荒川駅が京成押上線にあり、河川の荒川に近いことでつけられた駅名でしたが、荒川区とは離れていたので紛らわしいとの地元の要望で、八広駅と名称変更しています。

東京都23区内に限らなかったらどうでしょうか。足立駅が岡山県のJR西日本伯備線に、豊島駅が愛知県の豊橋鉄道渥美線に、千代田駅が大阪府の南海鉄道高野線に、中野駅が群馬県のわたらせ鉄道わたらせ渓谷線と長野県の上田電鉄別所線の2か所にあります。なお島根県大田市には、大田市駅と市の付いた駅名はあります。

 9駅のうち駅名の区の中にないのは、品川区上大崎2丁目にある目黒駅、港区高輪3丁目にある品川駅の2駅です。また住所は同じ区だが、ホームが他の区まで伸びているのは、板橋駅(一部が豊島区)と新宿駅(一部が渋谷区)の2駅ありました。
品川区目黒区加筆板橋駅(板橋区、豊島区)加筆新宿駅(新宿区、渋谷区)加筆
 上記の品川駅と目黒駅以外で駅名が現在の住所と関係のないところを山手線の駅29駅に限って調べると、渋谷区神宮前1丁目の原宿駅、新宿区百人町1丁目の新大久保駅、台東区根岸1丁目の鶯谷駅、台東区上野5丁目の御徒町駅、千代田区外神田1丁目の秋葉原駅、千代田区鍛冶町2丁目の神田駅、港区海岸1丁目の浜松町駅、港区芝5丁目の田町駅8駅ありました。東京駅は千代田区丸の内1丁目ですが東京都が付くので関係があることとしますので、29駅中10駅が住所と関係のないこととなります。実に1/3強にものぼっていました。昔は駅名と地名は関係していたと思われますが、地名の変化の方が大きく、駅名の変更は影響が大きいのでなかなか変えられなかったのかもしれません。

なお田町駅と品川駅の間の再開発に伴い、西日暮里駅以来40年ぶりに23区内に新駅が作られるとのことですが、何という駅名になるか楽しみです。



jmcblog at 14:11 

2014年03月26日

 『真珠の耳飾りの少女』で有名な17世紀のオランダの画家フェルメールは、絵画の中に地図に関係するものを壁などのかかる装飾品としてですが、現存している作品30数点のうち9点ほどに描いています。地図や地球儀などが現在よりはるかに貴重であった時代に、大変多いと思います。

 タイトルから明らかに地図が描かれていそうなことがわかるのは『地理学者』で、地図、海図、地球儀、書物などが散乱し、右手にはディバイダが握られています。地図は地中海周辺のもので、北アフリカのみが見えているそうです。

フェルメール地理学者の絵
『地理学者』 ウィキペディア“フェルメールの作品”から


 また『士官と笑う女』の壁に掛けられた地図が目立ちます。その地図はウィレム・ヤンスゾーン・ブラウ1620に出版したホラント州と西フリースラントの地図で、同じ地図が『青衣の女』にも描かれています。

フェルメール士官と笑う女

『士官と笑う女』 ウィキペディア“フェルメールの作品”から


 また大きく地図を描いているのが、『絵画芸術』で、背景の壁にかかる地図は、南部のベルギーと別れる前のオランダの地図で、地図の中央にある大きな折りじわが南北両地域の境に当たることが指摘されています。

フェルメール絵画芸術

『絵画芸術』 ウィキペディア“フェルメールの作品”から


 そのほか、『水差しを持つ女』と『恋文』には、オランダの地図が、『リュートを調弦する女』にはヨーロッパ全土の地図が描かれており、『信仰の寓意』には地球儀が、『天文学者』には天球儀が描かれています。

 なぜこのように地図関係のことが描かれているかはわかりませんが、17世紀のオランダではこのような地図関係の装飾品は珍しくはなかったのかもしれません。

 当時日本は鎖国時代でオランダとしか交易がなかったので、何か日本的なものでも描かれていないか探したところ、『地理学者』と『天文学者』の中の男が、日本の着物のようなものを羽織っていることぐらいしか見つかりませんでした。

JohannesVermeer-TheAstronomer(1668)
『天文学者』 ウィキペディア“フェルメールの作品”から


 なお第1回地図地理検定(当時は地図力検定)に『絵画芸術』の絵の作者をこたえる問題が、4択ですが出題されました。



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2014年03月19日

わたしがいなかった街で本の表紙

 小説を読むのを楽しみにして通勤していますが、芥川賞候補に3度もなった柴崎友香女史の小説『わたしがいなかった街で』を先日読んでいたところ、その中に「地図センター」に行った話が載っていることを発見しました。驚くと同時に大変うれしく思いました。小説では、“2週間前に、池尻大橋のあたりをバスで通るときに見えて気になっていた「地図センター」に行って、広島の昔の地図を探したが、母方の祖父がコックをしていたと聞いたホテルの名前は結局どの地図にも載っていなかった・・・”と言う文書が載っていました。「国土地理院」と言う言葉が出てくる小説には、村上春樹の『ノルウェイの森』や『蛍』、さだまさしの『眉山』、内田康夫の推理小説などがありましたが、「地図センター」が出てきたのは初めてした。単に名前が出てきたのではなく、池尻大橋云々とリアルに地図センターの場所が示されており、しかも見ただけでなく気になっていたところに訪ねて地図を探したことまで書かれていることから、実際の彼女自身地図センターに来られたものと思われます。

この『わたしがいなかった街で』の中には、米軍写真を使った大学の授業のことも載っていました。昭和22、3年頃の大阪を写した米軍写真で、彼女の小学校の校区は戦災で焼けてしまったところがわかり、焼け残っていたところが隣の小学校の校区なのがわかったそうです。それが今では、隣の校区は長屋や古い建物が多く道幅の狭い状況が、自分の校区は市営住宅の団地や新しい家や工場が並ぶ、幅の広い道が規則正しく交差しており、“何十年経っても、今も、はっきりと街の形に一目でわかるように、(米軍写真では)分かれていた。”とありました。米軍写真が単に記録としてではなく、その後の歴史をも示していることを教えてくれていました。なお彼女は大阪府立大学出身なので、そこで米軍写真を使った授業が行われていたのかもしれません。



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