2014年05月07日

太宰治と「地図」

 昭和を代表する小説家の一人である太宰治は、「地図」という題の小説を書いています。江戸時代初期、琉球国の王が5年もかけてやっと石垣島を征服しましたが、その祝賀のために訪れたオランダ人から贈られた地図には、石垣島はおろか琉球国も描かれてはいませんでした。オランダ人は“・・・この地図は大きい国ばかり書いたものですから、あまり名の知れてない、こまかい国は記入してないかも知れません、現にこれには日本さえあるかなしのように、小さく書かれていますから・・・”と弁明していました。それを聞いた琉球王は“名高くない小さい所は記入してないというのか”と言うのが精一杯でした。そのあとこのオランダ人の首をはね、琉球王の乱行は日増しに激しくなったこともあり、1年もたたないうちに石垣島のもとの兵に襲われ復讐されました。その後琉球王はコッソリと1そうの小舟でのがれて行き行方不明になり、地図は数か月後石垣島の王の屋敷の隅に落ちていたので、石垣島の王は珍しがって保存して置いた、で終わっています。
 文庫本10ページほどの短編ですが、頂点にある者が、ふとしたことで人間的な面を見せていることを書いた小説です。オランダ人と王の会話の中に、地図の本質も描かれていると思います。
 この小説は、大正14年秋に太宰治が仲間と一緒に創刊した同人雑誌『蜃気楼』の11・12月合併号に発表されたもので、当時の中学校3年生の16歳の時でした。16歳でよくここまで書けるのか感心しています。
地図太宰治

写真は太宰治生誕100年記念出版として平成21年5月に出された新潮文庫の『地図』初期作品集の表紙ですが、この中に「地図」など28作品収められています。この表紙から、「地図」が初期作品集の代表作だといっていることはうれしく思い、「地図」の代表的場面が世界地図であること納得できますが、オランダ人の首をはねるところが代表的場面であることは疑問が残ります。



記事検索