2014年01月22日

コンドルの弟子

 街に出ての昼食は、サラリーマンにとって、職場を離れ開放感を味わえる貴重なひとときである。先日、同僚と定食を出す小奇麗な料理店に入って、料理を待つ時間、テレビを見ていた。すると、画面に浦島太郎の「竜宮城」を思わせる建物が目に入った。私は、そこが日本のどこであるか即座に理解することができた。若い時に測量で訪れたことがある、九州武雄温泉に風変わりな建物が鎮座していたのを思い出したからである。ただ、40年も前の話で、現在では想像がつかないほど派手な朱色と白壁に装飾され、「これが何故、ここに?」とはじめて見る人は奇異に感じられるほどの派手さかげんである。

 なんと、これは、国指定重要文化財でお色直しされたばかりの「武雄温泉楼門(リンク)」で、あの東京駅を設計した日本最初の建築家、「辰野金吾」の設計によるものであることを紹介し、さらに東京駅完成直後に故郷の地に建設された小作品であったことをテレビは告げていた。昨年、約100年前の赤レンガ造りの駅舎に復元した東京駅には、干支(えと)が八つしかいないことが話題になっていたが、この武雄の干支をあわせると十二支が勢ぞろいするというから面白い。

 ところで、辰野金吾は、明治にロンドンから日本の工部大学校へ招かれた24歳の若き青年お雇い外国人のジョサイア・コンドルの一番弟子として、東京駅、日本銀行本店、などの数多くの建築をてがけ、日本の近代化に貢献したことは知られている。

 このコンドルの一番弟子で一期生の4人の中に「佐立七次郎」がいる。多くの建物の設計を果たしたが、戦災等によって形あるものとして残っているものは数点しかないが、日本の高さの基準として今もその機能を果たしている「日本水準原点標庫(下画像)が国会議事堂前の憲政記念館前(旧陸地測量部前庭)に現存している。

日本水準原点




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