2013年06月19日

丹那トンネル

丹那断層
 1933(昭和8)年の6月19日、丹那トンネルが貫通しました。東海道本線は、東京から西日本主要地域を結ぶ最も重要な陸路でしたが、箱根火山の北側を迂回する区間には25‰の連続勾配があり、長距離列車の牽引重量が制限されていました。そこで、国府津から分岐し小田原を通って海岸沿いに進み、熱海から長大トンネルで抜けて沼津で在来線に合流する、新ルートが計画されました。

 箱根火山の南にある丹那盆地の地下を通ることから、この長大トンネルは「丹那トンネル」と命名され、1918(大正7)年に着工されました。予定工期は7年間で、1925(大正14)年に完成させる計画でしたが、箱根火山に隣接する多賀火山の基底部を掘削することになり、大量の出水に悩まされる難工事となりました。トンネルへの出水は丹那盆地を潤していた地下水を涸らすことになり、鉄道省は難工事に加えて、丹那盆地の渇水対策にも追われることになりました。

 1923(大正12)年9月1日、相模湾を震源とする関東大地震(M7.9)が発生。丹那トンネルに取り付ける新線のうち当時既に開業していた根府川駅では、地震動により崩壊・流動してきた火山砕屑物に走行中の列車が押し流される惨事が起きました。しかし掘削中の丹那トンネルは無事でした。
Jishin_KitaizuF 1930(昭和5)年11月26日早朝、函南側工区で突き当たっていた断層が活動し、いわゆる直下型地震が発生しました。北伊豆地震(M7.3)です。現・三島市で震度6となり、死者行方不明者272人の大災害となりました。震源となった丹那断層に沿って地表地震断層がいくつも現れましたが、トンネル坑内でも断層が3m近くズレ動き、切り端が塞がれるという事態が生じました。それでもトンネル本坑は壊滅的な破壊は免れ、直線で計画された丹那トンネルは、断層変位をまたいで微かなSカーブでつなぎ、3年後に貫通しました。

Bunko_YoshimuraA 丹那トンネルの営業線としての開業は、1933(昭和8)年12月1日でした。当時、東京〜大阪間で最速の交通手段であった特急「燕」は、所要時間8時間に短縮され、この記録は、第二次大戦をはさんで1956(昭和31)年11月の東海道本線全線電化まで破られませんでした。丹那トンネルの難工事については、吉村昭の小説闇を裂く道に、断層変位の件を含め、ドキュメント風に描かれています。す。

 政府の地震調査委員会によると、丹那断層を含む北伊豆断層帯では北伊豆地震を含め5回の活動履歴が確認され、その活動間隔は約8百〜1千5百年くらいで、今後300年以内の地震発生確率はほぼ0%と評価されています。現在、丹那断層を東海道本線の丹那トンネルと東海道新幹線の新丹那トンネルが貫いていますが、これらは、活断層であることを承知のうえで、その低い地震発生確率に対してトンネルを供用することの利点を享受する選択をしているのです。

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