2013年06月12日
宮城県沖地震
本日(6月12日)は、宮城県の県民防災の日です。1978(昭和53)年のこの日に発生した宮城県沖地震による顕著な被害を教訓として、宮城県が定めた日です。宮城県沖地震は、宮城県牡鹿半島東方沖の海底で、陸側のプレートの下へ太平洋プレートが沈み込むことに伴って発生したマグニチュード(Mj)7.4の地震で、死者28人を含む大きな被害が生じました。
政府の地震調査委員会による『宮城県沖地震の長期評価』(2000)によると、宮城県の沖合から日本海溝までの海域で、18世紀以降200年あまりの間に、マグニチュード7クラスの地震が6回〜平均37年間隔で繰り返し起こっていて「今後20年以内(2020年頃まで)に次の地震が起こる可能性が高い」と結論されています。1978年の37年後は2015年で「次の地震」が肉薄してきたことから、評価確率はほぼ毎年改訂され、2009年時点では、30年以内のM7クラスの地震の発生確率は99%となっていました。
2005年には『日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に係る地震防災対策の推進に関する特別措置法』が制定され、地震防災対策推進地域の指定、地震防災対策推進基本計画等の作成、地震観測施設等の整備、地震防災上緊急に整備すべき施設等の整備等について定められました。
歴代の「宮城県沖地震」(地震調査委員会, 2000 から)
2013年の今、上記海域ほとんど全てを含んだ日本海溝沿いを震源とする、東北地方太平洋沖地震(Mw9.0)が2011年3月11日に発生し、死者・行方不明者約1.8万人の東日本大震災が生じたことを、私たちは知っています。
このため、1978年宮城県沖地震は、ともすれば軽くみられがちですが、この地震は、戦後高度経済成長期以後に初めて大都市圏を襲った海溝型大地震で、当時大きな社会問題となりました。
1978年の地震では、丘陵の住宅造成地における切土・盛土境界付近からの斜面崩壊、干拓地・埋立地での地盤液状化、家屋やブロック塀の倒壊などが多発しました。これを機に建物の耐震基準は強化されましたが、斜面や地盤に関わる同様の災害は、2011年の震災でも多発しました。かつて被災した土地を、当時を知らない世代が再び造成し入居した結果、同じ災害が繰り返された、との報告も聞きました。
顕著な自然災害が起きたとき固有の災害がクローズアップされ、相応に対策も進むのですが、どうも私たちの社会は、その次の災害によって注目される課題が「上書き」されてしまう傾向があるようです。1978年宮城県沖地震の直後に国土地理院が調査・図化した1:25,000土地条件図には、盛土・切土(平坦化地)の境をなるべく精密に表示する方針が垣間見えます。その場所の地図画像を掲げることで、造成地の斜面災害に対する備忘としておきます。