2013年05月09日

富士山、世界遺産へ (2)

 火山としての富士山について、何人もの研究者がその形成史・活動史の解明に取り組んできました。なかでも、故・津屋弘逵さん(東大地震研)、町田洋さん(東京都立大)、故・宮地直道さん(日大)らによる調査研究成果が大きく貢献しています。

 現在の富士山が、小御岳、古富士という古い火山を土台として積み重なっているという津屋さんが示された火山体構造は、古典として確立されています。

Kazanbai 町田さんは、火山灰などの降下火砕物(テフラ)の層序から、約10万年間にわたる活動史と関東平野はじめ周辺の地形発達史との関係を明らかにされました。火山灰は語る』(1977)は、地道な現地調査と柔軟な考察から自然史を解き明かしていく醍醐味を追体験できる名著です。富士山の何層ものテフラに挟まっていたガラスに富んだ火山灰を分析し、その分布を追跡したところ南九州の大規模火砕流堆積物シラスにつながり、2万数千年前の氷期に姶良カルデラで、日本列島の大半を火山灰で覆い尽くす巨大噴火が起きていたことを突きとめる章では、良質なミステリにも似た読後感を味わえます。
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御殿場市柴怒田の火山灰の露頭(1980年撮影).
矢印で結んだ地層が姶良カルデラ起源のガラス質火山灰.

 宮地さんは、宝永噴火(1707)、貞観噴火(864)および弥生時代の山体崩壊など、比較的新しい時代の活動について具体的なモデルを提示されました。火山土地条件図「富士山」(国土地理院,2003)の作成にあたっては、検討委員のひとりとして地形分類について全面的な助言をいただきました。
 宮地さんが示された宝永噴火の推移は、富士山の防災対策における噴火想定のひとつとなっています。貞観噴火は、噴出物の量から歴史時代では最大規模の噴火で、2011年東北地方太平洋沖地震・津波に匹敵する規模だった貞観地震・津波(869)に近い年代に起きていることから、関心が高まっています。

 御殿場市周辺に山体崩壊を示唆する岩なだれ堆積物が分布していることについては、すでに津屋さん・町田さんも言及されていましたが、宮地さんの調査結果は衝撃的です。約2900年前、強い地震動により富士山で大規模な崩壊が生じ、山体の破片は岩なだれとなって流れ落ち、東山麓を埋め尽くしました。崩れたのは、現在の富士山の東に接していた古富士の山体で、火山活動による熱水変質を受けた地層がすべり面となって崩壊したそうです。ということは、崩壊直前の富士山の山容は東西非対称で、しかも双耳峰だったらしい。

 弥生時代の東山麓に住んでいた人々にとって山体崩壊は大災害ではあるけれど、このとき形成された広大な裾野には御殿場市街のほかに多くの工場もあり、日本経済を支える産業の立地空間を提供しています。現在の富士山は、宝永火口や大沢崩れなど、眺める向きによりるアクセントはありますが、全体的には八面玲瓏の美しい姿が文化遺産を構成する根源となっています。しかし百年〜千年単位でみると、人間社会の都合で仕分けた「自然」も「文化」もまとめて呑み込んでしまうような、地形・地勢を一変させる活動の繰り返しによって、美しい風光が造られてきたのです。


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