2013年03月11日

鉄道の相互乗り入れ〈外国篇・防災篇〉

 今回の記事、最後まで読んでいただければ3月11日に掲載した意義は解っていただけるとは思いますが、導入部を拡げ過ぎました。2011年の大震災で亡くなられた方々には安らぎを、そして大切な人・ものをなくされた方々にさらなる希望がもたらされますように・・・。

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 3月16日(土)、東急東横線と東京メトロ副都心線との相互乗り入れが開始されます。これにあわせて、地図中心486(2013年3月)号の特集は「相互直通運転」です。日本の東京圏を中心に鉄道の相互乗り入れや第三セクター鉄道の線路共用について、それらの地図表現と合わせて紹介します。国内の事例については次回にして、今回は外国の鉄道の相互乗り入れに関わる話題です。

 多くの国々が国境を接するヨーロッパでは、国鉄同士の相互直通による国際列車網が発達してきました。現在の主役はTGVやICEといった日本の新幹線に匹敵する高速列車です。関係国が共通仕様の高速車両を用意し、シェンゲン協定により国境審査も省略された旅は、国内列車と変わりません。これに対し、19〜20世紀の国際列車の旅では、国境審査の緊張感と、それ故に国境の向こう側への期待感・不安感が交錯する独特の雰囲気を味わえました。

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 オリエント急行の運転区間と旧ワルシャワ条約機構の加盟国・地域(1960-70年代・橙色)

 国際列車の代名詞ともいうべきオリエント急行については、1年ほど前にこのブログでも採りあげ、今回の特集ではその記事をベースにしたコラムも設けました。
 オリエント急行が華やかだった時代は帝国主義の時代でもあり、ヨーロッパ列強が東方世界へと踏み込んでいく列車でした。2つの世界大戦をはさんで冷戦期になると、オリエント急行は東西両陣営を結ぶ列車となりました。政治的に対立する国々の車両が併結され、鉄のカーテンを越えていました。厳しい国境審査の片鱗は、冷戦終結後の1990年代にも残っていました。しかし、旧東欧諸国が次々とEUに加盟し、多くの課題は抱えながらも統合が深化するとともに、国際列車の特殊性・特権性は薄れました。
 オリエント急行は、TGV東ヨーロッパ線の開業により運転区間が短縮され、2009年に廃止されました。政治・文化が異なる地域を結び走り続けた国際列車は、それらの地域の統合が進むことで、その使命を終えたのでしょう。
 
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 ハンガリーの首都ブダペスト東駅に到着したオリエント急行(1998).

 オリエント急行全盛期に造られた客車が、いま箱根の美術館に展示され、ルネ・ラリックがデザインした見事な車内を見学できます。NEC_0012
 この4158号車は、あるテレビ局の記念事業として、同系の寝台車・食堂車とともに日本国内の鉄道線を走ったことがあます。狭軌用台車に交換され、高いホームが支障しないよう一部部品も外されたりしましたが、牽引する日本の機関車から全車のブレーキそのまま制御することができました。

 鉄道が相互直通する基本中の基本条件は、世界共通のブレーキシステムです。その原理は、編成を貫通するブレーキ管に込めた圧縮空気の減圧によってブレーキを作用させるものです。もしブレーキ管が壊れて空気が抜けたら全車に非常ブレーキがかかります。
 フェールセーフとは、障害が発生したとき安全側(safe)に壊れる(fail)仕組みです。一般には「障害の発生を想定して、被害を最小限にとどめる仕組み」と広義の概念が知られていて、これも間違いではありませんが、「想定」と「仕組み」との間に余分な要素が入り込む隙があります。非常時に、例えば緊急冷却装置を発動するような仕組みよりも、常用している装置が、非常時にも同じ原理で、より強く働くようにする方が、安全性が高くなります。

 新幹線など最近の車両のブレーキは電気制御方式になっていますが、このフェールセーフの設計思想は受け継がれています。2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震の強いP波を沿岸域で検知し東北新幹線は緊急停電、全列車のブレーキ回路電圧がゼロとなって非常ブレーキが作動し、さらに強いS波が襲ってくる前に安全に減速していました。

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《追伸》
3月1日に掲載した「環境指標の分布を地図でみる」は、見かけが単調だったので画像を追加しています。



jmctsuza at 14:46 
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