2012年12月25日

レッドアローに乗って秩父へ

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 西武鉄道の座席指定特急レッドアローは、1969(昭和44)年10月、西武秩父線(吾野〜西武秩父)の開通とともに運転を始めました。
 それまでの西武鉄道は、近郊農村から宅地へと変貌しつつあった東京西北部郊外の急増する通勤需要に応え、第二次大戦で被災した国鉄車輌をたたき直した電車を大量投入し、もっぱら「質より量」の輸送を展開していました。しかし正丸峠を越えて秩父地方に進出するにあたって、山岳路線に耐える高性能車を新製するとともに、観光需要も見込んで特急車も導入しました。

 明治学院大学教授の原武史さんの近著『レッドアローとスターハウス』 によると、「山岳路線を走る観光列車」のイメージから、当時のスイスの電車に倣って車体に赤いストライプが描かれ、「赤い矢」という意味の愛称が付けられたということです。しかし、沿線の団地景観が旧社会主義圏の住宅と似ていたことと同じように(そして、おそらくは偶然に)、この愛称名は旧・ソ連〜現ロシアの代表的な列車《Красная стрела》(クラスナヤ・ストレラー)と同じ意味だったのです。

 埼玉県西部、秩父盆地を中心とする一帯は、大宝律令(701年)により无邪志国と併せて武蔵国となる以前は、知知夫国という独立した地域でした。初代国造の知知夫彦命が祖神の八意思兼命を祀った秩父神社は、日本三大美祭かつ日本三大曳山祭の一つ「秩父夜祭り」で知られています。
 和同開珎に使われた銅、近代産業を支えた石灰石など、天然資源に恵まれ、江戸〜東京にも近いことから鉱業が栄えました。石灰石運搬のために敷設された秩父鉄道は、いまでも引き込み線や側線が多く貨物鉄道の特徴を備えています。そして西武秩父線の敷設も当初は石灰石輸送への進出が主目的でした。
 一方、西南日本外帯に連なる大起伏の関東山地(秩父山地)に囲まれた秩父地方には、独自の文化が保たれ、いくつもの社寺や霊場が残っています。1884(明治17)年には、自由民権運動のさきがけともいえる秩父事件が勃発し、中央の政治への異議を投げかけています。さらに近年では、アニメの舞台となったことで、その「聖地」としても紹介されています。

 産業発展に寄与し行楽客を受け入れつつも、大都市とはつかず離れずの関係を保ってきた秩父地方は、列強に囲まれながら中立を守りとおし、宗教改革の舞台となった一方で伝統文化が残り、近代には金融と観光とで逞しく生きてきたスイスと、華やかなリゾート地ではないにしても、どこか通じるところがあるのかもしれません。
  地図中心483号(2012年12月号)の特集は「秩父〜その聖なる空間」です。

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