2012年12月07日

昭和東南海地震

 1944(昭和19)年12月7日13時35分、紀伊半島東部沿岸の熊野灘、三重県尾鷲市沖約 20 km (北緯33度8分・東経136度6分)を震央として南海トラフ沿いの海底にあるプレート境界の断層が活動し、マグニチュード(Mj)7.9の地震が発生しました。昭和東南海地震または1944年東南海地震と呼ばれる巨大地震です。
 この地震では、東海地方を中心に四国近畿から北陸、関東甲信越地方にわたる広い範囲で震度4〜6の強い地震動が観測され、地震動と海底の地殻変動によって発生した津波が紀伊半島沿岸から東海地方にかけて大きな被害をもたらしました。
 当時は第二次世界大戦の最中で、地震・津波とそれによる被害は国民に知られず調査も十分になされなかったようですが、死者行方不明者は約1千2百万人といわれています。

 このような時代の状況でしたが、科学的な観測の面では画期的な成果が得られています。
 昭和時代初期に東海道沖および南海道沖の巨大地震発生を予測した、東京帝国大学の今村明恒博士(1870-1948)の要請に基づき、地震直前まで陸地測量部が静岡県の掛川から御前崎付近の水準測量を行っていました。 
 12月7日の観測では4mmを越える誤差が見出され、また水準儀の気泡が安定しないなどの障害から観測を中止していたところ、その数十分後に地震発生に至ったのです。その後の研究で、これらの異常は昭和東南海地震のプレスリップと推定され、このことが想定される東海地震予知の根拠の可能性とされています〈⇒気象庁|東海地震について〉。
 このときの観測手簿は、国土地理院により大切に保管されています。

 昭和東南海地震の2年後の1946(昭和21)年、昭和南海地震(Mj8.0)が発生しています。

1944-46
1944東南海地震および1946南海地震の震源モデル(Sagiya&Thatcherによる)

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jmctsuza at 13:35 
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