2012年11月16日
科学データの宝庫 南極
「南極観測」といえば、昭和戦後期の少年たちにとって夢と希望の象徴でした。国際地球観測年(1957-1958)への貢献を目指して、永田武隊長が率いる第1次南極地域観測隊が出発したのは1956(昭和31)年。第二次大戦後10年を経て、国連に加盟し、経済白書に「もはや戦後ではない」と記されたとはいえ、今からみれば日本はまだ貧しい国でした。
このような国が、先進国・戦勝国が既に大規模な観測を展開している大陸の片隅に昭和基地を建設し、いきなり越冬観測を敢行したのです。1960年代前半の一時的休止期をはさんで、日本の南極観測は営々と行われ、世界に誇るべき大きな成果をあげています。
地図中心11月号(通巻482号)では、南極観測に関わった7人の方々に、南極の魅力や観測の現状について美しい写真とともに紹介していただきました。
南極観測には、国土地理院も「地理調査所」と名乗っていた時代から参加し、隊員を毎年派遣しています。職員のなかから屈強な若手技官が選抜され、基準点の設置、測地観測、地球物理観測、地形図の作成(更新)などに従事しています。
そう!日本は南極大陸での領有権は主張していませんが、その国力・技術力が認められ、昭和基地のあるオングル島はじめ周辺地域の地形図作成を分担しているのです。
[⇒ 国土地理院 南極観測のページ ]
現在、国土地理院からは夏隊だけの参加なので、案外知らないひとも多いかも知れませんが、1968年日本人として初めて陸路で南極点に到達した村山雅美隊長が率いる第9次隊では、国土地理院から派遣された柿沼清一さんが村山隊長とともに南極点に立ちました。
柿沼さんはかなり前に国土地理院を退官され、いまは千葉県船橋市で悠々自適に過ごされています。が、都内でOB会などが催されるとカクシャクとして出席され、後輩たちを励ましてくださいます。