2012年08月14日
八月、戦争と平和の記憶 (3)
毎年8月になると、「高校野球」「帰省」「旧盆」「終戦記念日」など、ほとんど季語と化した言葉とともに、多くの日本人の故郷志向が強まる同時に、戦争の記憶を反芻し、ともかくも平和が保たれていることをかみ締めることになっています。67年間にわたり日本国民が、戦闘によって外国人を殺害したことがない、という記録は世界に誇ってよいと思います。
1945(昭和20)年の夏前後の、対外交渉や関係国の動向を、時系列で列記してみました。
5月 8日:ドイツ、連合国に無条件降伏。
7月13日:日本政府、和平の親書をソ連外務省に託す。
7月16日:アメリカ合衆国、最初の原爆実験に成功。
7月17日:ポツダム会談始まる。
7月25日:合衆国トルーマン大統領、原子爆弾投下指令書に署名。
7月26日:対日ポツダム宣言。
8月 6日:広島市、原子爆弾被爆。
8月 8日:ソ連対日宣戦布告。
8月 9日:ソ連軍攻撃開始。長崎市、原子爆弾被爆。
8月10日:日本政府、ポツダム宣言の条件付き受諾を連合国に申入れ。
8月12日:連合国、日本の降伏に関する回答。
8月14日:日本政府、ポツダム宣言受諾を決定、連合国に通告。終戦詔書を録音。
8月16日:日本政府、全軍に休戦命令。
8月30日:マッカーサーが厚木基地に到着。
9月 2日:日本政府、降伏文書に署名、第二次大戦終結。
9月 5日:ソ連軍、北方四島を占領。
9月 7日:沖縄戦終わる。
10月 2日:連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)を東京に設置。
これを見て「おやっ?」と思ったひとは多いハズです。そう、日本国民の成人ならば誰でも知っている「終戦記念日」8月15日はどうしたのか?と。
1945年8月15日は、日本政府がポツダム宣言受諾を決定し連合国に通告したという事実を終戦の詔書によって国民に伝えた(だけの)日であって、国際法上は何もしていないのです。もちろん、多くの国民にとって極めて重大な知らせを初めて聞いた日であり、その意義を過小評価する必要はありませんが、日本以外の大多数の国にとって第二次大戦の終結は、日本政府代表が降伏文書に署名した9月2日なのです。
佐藤卓己『八月十五日の神話 − 終戦記念日のメディア学』(ちくま新書,2005年)は、全国戦没者追悼式を8月15日に行うことを、1963年に政府として閣議決定するまでに、どのようにして「8月15日=終戦」は日本国民の集団の記憶として定着していったのかを、真正面から考察した著作です。
佐藤さんの研究は実証的・重層的で、要約は難しいのですが、本書を読むと、9月2日の「敗戦」を忘れ、戦前からの伝統である月遅れ盂蘭盆と同日の8月15日を「終戦」とすることで、戦争の当事者意識とでもいうべきものが忘却され、代わりに戦没者追悼〜すなわち被害者としての側面が強調されてきた経過が浮かび上がってきます。
佐藤さんの主張には賛否があるかとは思いますが、本書の続編として、同じテーマをアジア諸国に取材した『東アジアの終戦記念日 − 敗北と勝利のあいだ』と併せて、8月の休暇を利用して「記憶」を確かめる読書をしてみるのも、半世紀を越えた平和を維持し享受している私たちの知的なたしなみであると思います。
ドイツ東北部(旧東ドイツ)
→ OpenStreetMapによるポツダム市街の地図
ポツダム宣言が発せられた、ドイツのポツダム(Potsdam)という街をちょっと観てみましょう。氷期にスカンディナビアを中心に発達していた氷床跡の湖沼の畔にある風光明媚な街です。ベルリンに隣接し、プロイセン王国〜ドイツ帝国時代には王家の居城があり、この地を占領したソ連は王家の史跡を利用して連合国首脳会談の場所を提供しました。
ポツダム会談の後、冷戦が深刻化し、旧ソ連軍の本国以外では最大の基地がおかれ、西ベルリンを東ベルリンとともに東西から監視する役割を担いました。一方、旧東ドイツも、ベルリンからポツダムへ行くにはベルリンの壁を大きく迂回する必要があり、相応の不便を強いられていました。
現在では、統一後再編されたSバーン(都市近郊電車)に乗って、ベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)からポツダムまで40分で行くことができます。
ポツダムは、いろいろ日本と縁があるところです。
トルーマン大統領が広島への原爆投下命令に署名した「リトル・ホワイトハウス」の近くの交差点付近は「ヒロシマ・ナガサキ広場」と名付けられ、最近建立された原爆碑があります。
ポツダム市電の400形電車は、広島電鉄5000形電車と同じメーカー(ドイツ・シーメンス社)が製作した同一車種で、このうち404号には「Hiroshima (広島)」と愛称が付けられています。
ポツダム市電404号「広島」.
ポツダムに留学していた測地学研究者のTさんにお願いして、研究の合間の夕刻に撮っていただきました。