2012年08月06日
八月、戦争と平和の記憶 (1)
8月6日は67年前に広島市に原爆が投下された日、8月9日は長崎市に原爆が投下された日です。歳月の経過と世代が交代していくなかで、どのように説得力をもって被爆体験を伝えていくのか、今世紀に入る頃から課題となっていました。
(財)日本地図センターでは『地図中心』誌の2005年号外として「米軍が空撮した広島・長崎 昭和20年8月」を特集しています。広島市長(当時)が「今こそ広島の心を世界に広めたい」と語った対談記事を中心に、米国国立公文書館が所蔵・公開している米軍撮影の空中写真や旧版地形図など、当センターが使える資料だけを用いて、被爆前後に広島、長崎の市街がどのように変貌したかを評論抜きで示しました。
僅か数日間をおいて撮影された2組の空中写真を見比べてすぐに判ることは、そこで生活していた市民が、その生活空間とともに、ある意志によって抹殺された事実です。
この号外は多くの方々の関心を集めた結果、現在では残念ながら在庫切れとなっていますが、記事の基になった旧版地図や米軍撮影の空中写真は誰でも入手できます。
ほぼ同時期の2004年、原爆をテーマとした傑作が発行されました。広島出身の漫画家こうの史代さんの『夕凪の街 桜の国』(双葉社)です。「夕凪の街」「桜の国(一)」「桜の国(二)」の3部から構成されています。
「夕凪の街」では、広島の基町にあったスラムを舞台に、被爆から10年後の若い女性の心情と運命が描かれています。「桜の国(一)」「桜の国(二)」では「夕凪の街」の主人公の姪にあたる被爆二世の女性の、家族の歴史を辿る旅と、そして被爆者や被爆二世への差別(「・・の芽のようなもの」作者)が描かれています。
ほのぼのとしたタッチの描写でありながら重いテーマから逸れることなく、明るく希望に満ちたエピローグに至るこの連作短編は、多くの読者の心を捉えました。外国向けにも翻訳され、2007年には実写版で映画化されています。
『夕凪の街 桜の国』の巻末には、舞台となった場所を示した作者手書きの「広島市中心部地図」が掲載されています。主人公たち〜すなわち当時の広島市民の行動範囲の中心には相生橋があります。T字形の特徴的な平面形をもつこの橋が、原爆投下の目標物となったのでした。
相生橋を走る広島電鉄650形電車(撮影:石原宏行).
背景に原爆ドームが見えます。この651号は、1945年8月6日の朝、運行中に被爆し大破しましたが、翌年に修復され、現在も使われています。
(8月7日追加)
旧太田川左岸には、1970年代までスラムが残っていました(左写真)。
現在は、環境護岸の整備がなされ快適な緑地となっています(右写真)。
米国立公文書館所蔵の空中写真