2012年07月05日
ドイツ「カールバンベルヒ社製」測量器 (2)
「カールバンベルヒ」か「カールバンベルク」か?ドイツ語のカタカナ表記について、測量史に詳しい2名の方から貴重な情報が寄せられました。今回は、その主旨を紹介したいと思います。 (1) からの続きです。
わが国の主な公的機関においては、ドイツ由来の機器すべて「カールバンベルヒ」と表記しています。
(1) 国土地理院(地図と測量の科学館)では、展示機器等の説明書きで「カールバンベルヒ」と表記。
(2) 国立天文台では、天体観測機器について「カールバンベルヒ子午儀」「カールバンベルヒ経緯儀」と表記。
(3) 国立科学博物館では、展示機器について「カールバンベルヒ子午儀」と表記。
国立公文書館に保管されている、ドイツの測量機器購入に際して書かれた1881(明治14)年10月14日起案の公文書(図)には、「ベルリン府中リーニエン町五十八番地 カルルバンベルヒ発売」と住所と発売元が記されています。この器械購入文書の起案者は、後の初代陸地測量部長となる小菅智淵で当時、測量課長のときの直筆です。
また、測量機器ではありませんが、航空機に搭載する羅針盤購入に際しての文書(1926)では「大正15年2月12日 陸軍省陸軍航空本部起案 総予備兵器使用の件 羅針盤バンベルク三号型」など羅針盤を「バンベルク」としています。
一方、寺田寅彦(1878-1935)は、1909(明治42)年5月から1年半、ドイツのベルリン大学に留学して地球物理学を学び、ヘルメルト博士の「地球の形」の講義を受けています。1935(昭和10)年9月に東京朝日新聞に発表した随筆『小浅間』の中で「バムベルヒの天頂儀」と書いています。
ドイツ文学者・ドイツ語研究者の石原あえか東京大学教養学部准教授は、2009(平成21)年4月から1年間、ドイツの光学機器メーカーであるカールツァイス社の創業地イェーナ(「イエナ」とも表記)のフリードリッヒ・シラー大学に研究滞在し、ゲーテと測地学について調査しています。帰国後に出版された著書『科学する詩人ゲーテ』(慶應義塾大学出版会,2010)の中で、Carl Bambergを人名、社名とも「カール・バンベルク」と記しています。
どうやら、ベルリンに滞在または交渉した測地学・地球物理学の関係者が「カールバンベルヒ」を使用していたことが伺えます。
情報を寄せてくれたNsさんは、後世の日本の測地学に大きな影響を与えた田坂虎之助(1850-1919)によるところが大きいと話していました。前回でも言及しましたが、田坂は、測量地図作成を学ぶため長期に渡るドイツ留学(1871〜1883年)を陸軍省から命じられ、ベルリン大学で測地学、天文学等を学んでいます。大学の所在地ベルリンの方言、あるいは大学生活の中で、日本人には「・・ヒ」と聞こえる発音する人物から強く影響されたのではないか、ということです。
もうひとかたの情報については、次回に書きます。
___script by jmchako( (3) へつづく)
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