2012年02月10日

寒波・オリエント急行・地図教育

 立春も過ぎましたが、寒い日が続いています。
 2月6日に気象庁から「ユーラシア大陸の顕著な寒波について」という解説が公表されました。これによると、今年(2012年)1月中旬以降、ユーラシア大陸中央部に非常に強い寒気が流入していて、日本列島の寒さはその余波に過ぎないことがわかります。2月になって寒気の影響は中〜西欧にも拡がり、大雪による交通障害も報じられています。

 ヨーロッパで大雪による交通障害とくれば、アガサ・クリスティ『オリエント急行殺人事件』を想い出します。おなじみ「灰色の脳細胞」を持つ名探偵エルキュール・ポワロが乗りあわせたイスタンブール発パリ行きのシンプロン・オリエント急行*が、ユーゴスラビア(当時)のヴィンコヴチ付近で大雪に閉じ込められ停車中、乗客のひとりが殺され・・・、と展開していきます。
 オリエント急行が大雪で立ち往生した事件は、1929年にトルコ〜ブルガリア国境付近で起きており、これに飛行家リンドバークの子息誘拐事件(1932年)と、2つの実在事件に作者自身の乗車体験を加えて着想を練ったものと考えられます。

OE運転区間s

 『オリエント急行殺人事件』は、シドニー・ルメット監督で1974年に映画化され、翌1975年に日本でも公開されました。主人公ポワロはじめ乗客たちを演じたのは、ひとりひとりが主役級の俳優たちでした。興行的に大ヒットしましたが、高くついたと考えられる人件費を回収できたのか心配になるくらいです。豪華キャストが演じた乗客たちの素性を列記してみましょう。
・ベルギー人で英国で活躍する探偵(ポワロそのひと)、
・アメリカ人の富豪(被害者)、
・被害者の秘書であるアメリカ人青年、
・被害者の執事である英国人、
・派遣先のインドから帰国途上の英国軍大佐、
・バグダッドで教師をしていた英国人女性、
・老齢のロシア貴婦人 、
・貴婦人の使用人であるドイツ人女性、
・おしゃべりなアメリカ人中年女性、
・宣教師であるスウェーデン人中年女性、
・フランスへ赴任途上のハンガリー外交官、
・外交官夫人の若い女性、
・自称「スカウトマン」のアメリカ人男性、
・アメリカで自動車販売を営むイタリア人男性、
・フランス人の車掌、
・ギリシア人の医師、
・国際寝台車会社の重役(名前からイタリア人か)
原作者が英国人であるためかもしれませんが、英国人・アメリカ人の比率が高くなっています。実際、中近東(オリエント!)から南アジアにかけての英国植民地の経営に関わる高官や豪商が、シンプロン・オリエント急行の主要な顧客だったそうですから、この設定は不自然では無さそうです。
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ウィーン西駅に到着するオリエント急行ブダペスト行(1995年)

 植民地を持つことの適否は別として、近現代史のなかで、英国はじめ西欧諸国が最も効果的に地図や地理学を活用して、活動の場を拡げていました。乗客たちの会話からも地理に親しんでいる背景が伺えます。「帝国主義」といってしまえばその通りであり、彼ら彼女らの視点の中に異教・異民族への偏見もあって、その残滓は現代の英会話の授業にも微かな違和感をもたらしているけれども、結果として、世界中から得た多くの事物や知見が独占されずに人類共通の財産となり、英語が事実上の国際標準語となってきたことは事実でしょう。

  地図中心誌の2012年3月号(通巻473号)の特集は「地理教育と地図教育展望」です。473cover
 上越教育大学の志村喬さんの記事に紹介されたイングランドの地理授業では、小学校低学年に空中写真を見せて訪れた場所を当てさせ、中学1年生に英国測量部(Ordnance Survey)の地形図の(コピーではなく)現物を配布し、読図や地域についての説明をさせているそうです。 生徒が身につけるのは、国語(=英語)、算数(数学)と並ぶ基本的な技能(リテラシー)として、地図などの記号・図表を読み解き使いこなす「グラフィカシー(graphicacy)」という技能です。英国の海外領土は今でもありますが、現在の地図教育の目的は、これからの持続可能な社会の形成者・参画者としての市民の育成とみるべきなのでしょう。

 日本でも、順次施行されつつある新しい学習指導要領では、いわばグラフィカシー向上をかかげ、学校の授業において地形図やGISを利用することを薦めています。現役の学校の先生、地理学科出身の保護者、研究者そして文部科学省の教科書調査官といった方々に、地図教育の現状と目指していることについて書いていただきました。

* オリエント急行
 西〜中欧と南東欧そして中近東をむすぶ国際列車群の変遷史は、それだけで本1冊以上書けてしまうので、ここでは最小限の説明をします。
  1883年に運転を開始した「オリエント急行」は、パリからドイツ南部〜オーストリアを経由してルーマニアのブクレシュティ、そしてトルコのイスタンブールと結んでいました。第一次大戦後に走り始めた「シンプロン・オリエント急行」は、スイス〜イタリア〜ユーゴスラビア経由でイスタンブールと結び、大戦間の最盛期を支えました。『オリエント急行殺人事件』の舞台もこの列車です。この他にもいろいろな区間・経由地の名を冠した「○○オリエント急行」も生まれては消えていきました。
 南ドイツ経由の「オリエント急行」は21世紀まで走り続けましたが、フランスの高速鉄道TGV東ヨーロッパ線の開業(2007年)によりストラスブール〜ウィーン間に短縮され、2009年12月に廃止されました。
 オリエント急行全盛期の1929年に造られた車輌が、いま
箱根ラリック美術館に展示されています。大型ソファと軽食ができるテーブルを備えたサロン車(プルマン車)で、映画の車内シーン・セットのモデルと同系車です。当日申込みで車内の見学もできます。ルネ・ラリックがデザインした豪奢な客室で、名探偵になったつもりで
 「さて、皆さん・・」
とやってみるのも乙なものかも知れません。


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オリエント急行の車内(1995年)
奥に座っているオジさんが、何となくポワロさんに似ています。


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