2011年08月05日
『見にウォーク/ 墨東(旧・寺島町)を歩く(前編)』のご案内(2a)
古地図を片手に江戸〜東京の街歩きが、趣味の一分野として定着しています。
目的地に行くための手段としてではなく、風物を観察しながら歩き回る「散歩」を最初に実践しエッセイとして公表したのは、永井荷風( 1879-1959 )といわれています。今世紀に入った頃から、定年を迎えようとしている中高年男性の一部を中心に、荷風の何者にも束縛されない生き方に共感した街歩きが、静かなブームとなってきました。さらに、究極の「おひとりさま」としての荷風の生活に価値を見出す女性も増えているようです。
永井荷風の街歩きに関わる代表的な著作は、江戸切絵図を片手に散策する『日和下駄 一名 東京散策記』(1915)でしょう。 目次をみると「日和下駄」「淫祠」「樹」「地図」「寺」「水 附渡船」「路地」「閑地」「崖」「坂」「夕陽 附富士眺望」とあり、一部に古めかしい用語はあるものの、地理学・地図学の参考書にそのまま使えそうな項目が並んでいます。「富士眺望」とくれば、筑波大付属高の田代博さんが主催する「山の展望と地図のフォーラム」の前身のようにも思えます。
荷風の作品には、『日和下駄』以外にも、エッセイやフィクションに関わらず、舞台となった場所の生き生きとした描写が特徴です。代表作『墨東綺譚』(1937)では、作者自身がモデルと思われる主人公・大江匡が次(原題で「墨」は、部首はさんずいに墨はつくり字体、以下同様)のように語っています。
小説をつくる時、わたくしの最も興を催すのは、作中人物の生活及び事件が開展する場所の選択と、その描写とである。
「墨東」とは隅田川の東岸の土地を表し、いまの墨田区とほぼ同じ範囲とみられ、今では、2012年に完成する東京スカイツリーを間近で眺めようとするひとびとで賑わっている界隈です。永井荘吉氏(荷風)と大江匡氏との3人連れで、東武伊勢崎線に沿って歩いてみましょう。
[業平橋]
いままさに東京スカイツリーが建っている現場です。浅草駅から東武伊勢崎線に乗って最初の駅。ホームからあまりに近いので、首が痛くなるほどに見上げることになります。駅周辺の食堂や商店では、スカイツリーに因んだ商品も提供し、いつも賑わっています。
そば処 かみむら、名物「タワー丼」
業平橋の駅名は、平安時代の歌人・在原業平に由来します。藤原氏との抗争に敗れ、無冠のままでの諸国放浪は『伊勢物語』のモデルになっています。『古今和歌集』の撰歌となっている、
名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと
という歌は、隅田川の渡舟で詠んだとされています。駅前を通る道路を北西に行くと隅田川を渡る言問橋に至ります。
業平橋駅は、1902(明治35)年に吾妻橋駅として開業し、一時休止をはさんで、1910(明治43)年に浅草駅と改称され、長らく東武鉄道(以下「東武」)のターミナルでした。1931(昭和6)年、隅田川に架橋して浅草雷門(現・浅草)駅を開設したとき、現行名となりましたが、広い構内を活かして操車場や貨物駅が併設されていました。貨物駅は2003(平成5)年に廃止され、不要となった広い敷地が東京スカイツリーの建設地となりました。2012年のスカイツリー完成に併せて「東京スカイツリー駅」に改称される予定です。
1:25,000地形図「東京首部」1947年修正
[曳舟]
スイカイツリーの建設現場を右にみて、北へ急カーブを描くあたりから、いろいろな鉄道路線が絡み合ってきます。地下鉄半蔵門線から押上駅を経てきた線路が、地下からせり上がってきて上下線の間に分け入り、直ぐ脇をかすめた京成線の下をくぐってきた亀戸線がさらに合流し、3路線併せて曳舟駅に入ります。周辺は、いかにも「昭和」のイメージそのままの商店街と、工場跡地に新築された高層マンションとが隣り合っています。
駅名は、江戸時代に古利根川から引かれた葛西用水路の、江戸近郊での通称「曳舟川」に由来します。江戸に集まる物資を満載した高瀬舟を、水路沿いの道から牽く航行法がそのまま水路の名となりました。隣の押上駅とで「押し・曳き」というペアになりますが、地元の資料によると、水路に江戸湾の潮が常に「押し上がってきた」ことに由来するそうです。
大江匡氏は、小説の取材のため、「六月末の或夕方」に、東武の玉の井駅周辺、当時の町名では寺島町を訪れます。
踏切の両側には柵を前にして円タクや自転車が幾輛となく、貸物列車のゆるゆる通り過るのを待っていたが、歩く人は案外少く、貧家の子供が幾組となく群をなして遊んでいる。降りて見ると、白髯橋から亀井戸の方へ走る広い道が十文字に交錯している。
現在の、水戸街道(国道6号)と明治通との交差点で、今とはかけ離れた光景です。伊勢崎線は高架化され踏切はなくなりました。玉の井駅は町名変更に合わせて東向島駅に改称されていますが、駅名標には旧名が併記されています。高架下には東武博物館が設けられ、蒸気機関車から1世代前の特急電車までの実車展示、関東平野を模した鉄道模型ジオラマ、電車やバスの運転シミュレータが揃い、夏休み期間中は鉄道好きの少年達が集まってきます。
(つづく)
水戸街道(国道6号)を跨ぐ東武鉄道と背景のスカイツリー
斜体文字は『古今和歌集』『墨東綺譚』からの引用です。
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