2011年01月18日

『地震の記憶』


  この記事が公開されるのは1月半ば過ぎ。毎年この時期の話題は、成人の日、大学入試センター試験そして阪神・淡路大震災(1月17日)でしょうか。
 1995(平成7)年1月16日、広島から山陽新幹線の東京行き列車に乗り、午後4時頃に六甲トンネルを抜け兵庫県西宮市街を通過しました。その約13時間後、ニュース番組は、関西で顕著な地震があったこと、にもかかわらず各地の被害情報がほとんど入ってこないこと、そして放送局の窓から鉄道の高架橋の一部が崩れ落ちているのが見えることを報じていました。
  阪神・淡路大震災()の原因となった兵庫県南部地震(マグニチュード7.3)は、明石海峡付近の地下14kmを震源とする、いわゆる直下型地震で、死者・行方不明者6千人以上、被害総額10兆円以上の都市型地震災害をもたらしました。淡路島では、『新版日本の活断層』(1991)などに活断層として記載されていた野島断層に沿って地表に断層のずれが現れ、「活断層」という用語が一般市民に知られる契機となり、活断層調査が政府の地震防災のための事業として行われるようになりました。
 被害の集中した神戸市、芦屋市、西宮市付近の地表には顕著な断層のずれは確認されませんでしたが、地震動や地殻変動の観測から、六甲山麓から淡路島北部にかけて全長約50kmの断層群が活動し1〜2m程変位したとみられています。
  この震災では、1960〜70年代に造られた建物や鉄道・高速道路の高架橋などの被災が大きく社会問題になり、耐震構造の見直しや既設構造物の耐震補強工事などが行われました。もちろん以前も無策だったわけではなく、建築基準法は1971年と1981年に大きく改正され、耐震基準はそのつど厳しくなってきています。
 山陽新幹線は、西宮市内で阪急今津線を跨ぐ付近の高架橋が落ち、80日間不通となりました。一方、六甲トンネルをはさんで反対側孔口にある新神戸駅には顕著な被害はありませんでした。
 1972年開業の新神戸駅は、六甲淡路断層帯を構成する活断層のひとつ諏訪山断層の直上にあり、新大阪方面のホームが断層の北側(山側)の地層に、列車が走る線路が断層破砕帯に、博多方面のホームが断層の南側(海側)の地層にそれぞれ載っています。1995年には幸い現れませんでしたが、万一の地表断層変位に備えて、2本のホームと線路は3つの独立した構造物として、それぞれの地層に載せることで被害を最小限に抑えるという工夫がなされているそうです。
  「のぞみ」や「こだま」に乗って新神戸駅に停車したとき、山側と海側とでが全く異る車窓風景が見られます。E席から眺める六甲山地側は、断層運動で隆起し張り出した尾根が迫り深山幽谷の様相です。これに対しA席から眺める海側は、隆起する六甲山地から流出した風化花崗岩の砂が積もって形成された平滑な扇状地上に広がる神戸市街が見わたせます。
   1:25,000都市圏活断層図をみると、諏訪山断層がもたらした六甲山地の直線的な山麓線の両側に対照的な地形が明示されています。

* 「兵庫県南部地震」は、気象庁が命名したこの地震の固有名。「阪神・淡路大震災」は、災害復興事業を効果的に進めるため政府が閣議決定したこの災害の固有名。
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1:25000都市圏活断層図「神戸」から新神戸駅付近

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地図センターの彩色地図から新神戸駅付近


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