2010年12月10日

『消したい?線路、消えた線路』


  西暦2010年の今年、奈良では平城遷都1300年祭が行われ、県内各地で様々な催しが開催されています。現在(〜1月半ば)、測量をテーマにした企画展が平城宮跡資料館で行われています。先日観に行って来ましたが、田畑が広がっていた土地を1000年以上前の都の宮殿跡として発掘、保存してきた様子の一端をかいまみることができました。展示を見終わって宮跡内を散策していると、ゴトンゴトンゴトンと電車が走り抜けていきます。散策路の途中には踏み切りもあり、5分とおかず遮断機が下りて電車が通過していきます。

07 朱雀門と近鉄奈良線


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月に奈良県が、この近鉄奈良線の移設に関するアンケートを行っていました。高架化すれば景観上新たに苦情が出るでしょうし、地下化すれば地上の景色からは消せますが、地下の埋蔵資料等の問題があるそうで、経済的なことだけでなく単純にはいかないようです。1300年という時間の流れからすれば短いかもしれませんが、1914(大正3)年に開業してから100年弱、奈良の中心市街地と大阪方面を結んで現代人を運び続けている鉄道も重要な存在です。さて、アンケートからはどのような意見が示されるのでしょうか? 日本地図センターが今年発行した「集成図『奈良』セット」には、現在の「5万分1集成図『奈良』」と共に100年前、200年前の地図が入っています。100年前の地図は1908(明治41)年当時のもので、現在の近鉄奈良線が敷かれる前です。まだ史跡公園として保存整備される前。広くて障害物がないこの土地に線路を敷くという考えは、当時としては妥当だったように個人的には思います。

その100年前の地図を眺めていて、「こんなとこに鉄道走ってたかな?」と別の場所に目が止まりました。現在のJR奈良駅から加茂方面へ見たことのない線路が描かれているのです。“だいぶつ”という駅名の注記も見えます。
07 奈良

現在の地図で確認すると、“これはきっと線路跡に違いない”と思える、よく似た形状の道路が描かれています。気になったので、その道を歩きに行ってみました。大仏駅があったあたりには“大佛鐡道記念公園”という一角が設けられ、そこにこの鉄道についての説明板がありました。関西鉄道の大仏駅は1898(明治31)年に開業し、加茂から奈良市街へその経路を通ってお客を運んでいたのだそうです。翌年には奈良駅まで開通しましたが、1907(明治40)年、10年も経たずに廃止になってしまったのだとか。(この地図は鉄道廃止後の作成ですが、まだその頃には線路が残っていたのでしょうか?)大仏駅があった辺りから現在のJR大和路線鹿背山トンネル付近まで6km程度の道のりをひたすら歩きます。汽車が走っていたにしては結構なアップダウンの繰り返しです。鉄道の名残は決して多くありませんが、高架をくぐるレンガのトンネルの遺構を2箇所見ることができ、“かつて確かにそこにあった”ということを実感しました。そうすると、自分が歩いてきた道と同じところを汽車がシュシュポポシュシュポポ煙をはきながら走っている姿が目に浮かんできました。

 100年後。「昔、平城宮跡内を鉄道が通っていたんだって!」と、2010年当時の“古地図”を見ながら驚いている人達がいるのかも知れません。

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jmcyosh at 08:40 
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