2009年12月04日

わが国の測量・地図作りに貢献した人 -田坂虎之助-


  わが国の地図作りで歴史的に大きく路線変更(フランス式をドイツ式に)をした田坂虎之助をご紹介します。 同氏は国土地理院が管理している 「日本水準原点」 の創設に関係しており、この水準原点の水晶目盛が埋め込まれている船形石に「陸地測量部三角科長陸軍工兵中佐従六位勲六等田坂虎之助」と名が彫刻されています。
  田坂虎之助は嘉永3年広島藩に生まれ、明治4年から明治15年の長きにわたり(12年間) 測量事業を学ぶためドイツに留学しました。 当時の日本の軍制は、陸軍がフランス式、海軍がイギリス式で、陸軍ではフランスから大勢の士官を招いていろんな指導を受けていました。地形図作製でも陸軍士官学校でフランス式測量法が教えられ、多色図式の2万分の1地形図(迅速測図)が作製されました。  この芸術的で色彩豊かな地図を見て感動された方もいると思います。この当時は、川上冬涯など大勢の洋画家が地図づくりに携わっていました。

  このような状況の中、 田坂は明治15年10月にドイツから帰国し、参謀局測量課長になりました。そして習得してきたドイツの測量技術を基にして、 それまでのフランス式三角測量方式をドイツ式に変えました。次いで地形測量方式もドイツ式の一色線号式に変えるため、小地測量法を改正する原動力となりました。  翌16年2月、 陸地測量部測量課に大地測量部、小地測量部が設けられ、大地測量部長心得に任命されて、明治35年 5月に退職するまで三角測量作業の責任者を勤めました。
04 カラスウリ2











 
  【参考: 国土地理院ホームページ】

   (わが国の三角測量を創業した田坂虎之助・上)
   http://www.gsi.go.jp/WNEW/koohou/478-6.htm
  (
わが国の三角測量を創業した田坂虎之助・下)

  http://www.gsi.go.jp/WNEW/koohou/479-5.htm 


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jmchako at 10:33 
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