2009年12月04日
シリーズ測量遺産(7) 観象台
観象台(那須塩原市千本松716-1)
−那須塩原市指定文化財−
近代国家を目ざした明治新政府は、国土の近代的測量をお雇い外国人の指導で始めることになりました。明治8年(1875)には、イギリス人のマクウェンやヘンリー ・シャボーの指導のもとに関東地方の測量 (関八州大三角測量)が着手されました。 この測量には、平地の2地点を結ぶ直線 (基線)を設け、その長さを極めて精密に測量する必要があったのです。
一帯は、江戸時代から明治10年代(1880年前後)にかけて、那須野ヶ原と呼ばれる平坦な原っぱでした。そこで、この地が相模原(神奈川県)と共に基線測量の場に選ばれました。那須野ヶ原における基線 (那須基線)のあらましは、次の通りです。
(1) 那須基線北点 西那須野町千本松
(2) 那須基線南点 大田原市親園
(3) 測量の時期 明治11年4月9日〜6月11日
(4) 2点間の距離 1万628.310589メートル
当初、観象台には木のヤグラが組んであり、明治10年代の開拓や那須疎水測量の際のかっこうな目標物となり、人々に親しまれました。北点と南点を結んで開拓道路の縦道がつくられ、現在はライスラインの一部となっています。
なお、塚の脇の水準標は50メートルほど南東にあったものです。 「那須基線北端点 解説版」より
地図をクリックすると拡大します。
地図センターHOMEへ