2009年10月09日
シリーズ測量遺産(5) 相模野基線北端点
相模野基線北端点(相模原市麻溝台4-2099-2)
−相模原市指定史跡 指-19(平成13(2001)年
4月1日指定)−
明治新政府は「富国強兵」、「殖産興業」を掲げ、このための測量・地図作製事業に着手し、全国規模の精密な地形図整備に取りかかりました。
精密な地図を作成するためには、まず、全国に配置した三角点の位置 (緯度・経度・高さ)を正確に決める必要があり、三角点測量から始められました。 この測量は、当時、三角測量という方法で行われ、近傍の三角点同士が形成する三角形の内角を経緯儀と呼ばれる器械を用いて測定するものです。 いくつかの地点で、 三角点間の距離を精密に測定しておけば、 あとは次々と角度を測るだけで 全国の各三角点の経緯度が決まり、三角点間の距離が決まります。図形としてみれば三角形の角度を測り、 計算方法としては三角関数を用いることから、 このような方式の測量は三角測量と呼ばれました。この、ところどころで三角点間の距離を精密に測った最初の場所が、この相模野基線(基線の全長距離5209.9697メートル:明治15年測定) であり、参謀本部陸地測量部によって設置された全国13箇所の基線場の内の一つです。この基線場は、相模原市が史跡指定する 「相模野基線北端点 (一等三角点・下溝村)」 のほか、座間市内の 「南端点 (一等三角点・座間村) 」及び「中間点」が現存しています。
当時の相模野は、 広く平坦な原野であり、見通しが良いので基線場としては最適地でした。
相模野基線北端点/一等三角点「下溝村」
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