2009年09月25日
シリーズ測量遺産(4) 内務省地理寮水準点
内務省地理寮水準点(高低几号標)
(横浜市南区八幡町1番地 中村八幡宮)
−横浜市地域文化財史跡
(平成10(1998)年11月9日指定)−
明治維新以来日本が近代国家となって行く上で、 鉄道・道路・港湾・市街の建設等で測地事業は欠くことのできない事業でした。内務省は、明治7(1874)年1月内務省地理寮(後に地理局となる)を設置して以来、 「お雇い外国人」の指導の下、集中的に開港を進めた 五港 (横浜 ・ 神戸 ・ 新潟・ 函館 ・長崎)や東京 ・大阪 ・京都などの主要都市の市街図作製に力を注ぎ、明治17(1884)年以降に参謀本部陸地測量部に移管するまで測地事業を担当しました。
横浜では、明治7〜8(1874〜5)年に地図作製の骨格となる三角測量及び水準測量が行われ、明治14(1881)年に実測図が刊行されました。横浜は、近代測量による地図 (1/5,000) が完成した最初の開港地でした。
このときの水準点が、内務省地理寮水準点 (高低几号標)です。内務卿 (内務大臣) から布達状が出されており、これには「内務省で設置した水準点に 「不」 の記号(几号)を不朽物などに彫刻して標識として活用するように、また、適当なものが無い場合には、標識 (石標) を埋定し、標識に 「不」 の記号を付すこと」 としています。
「中村八幡宮」 の内務省地理寮水準点は、参道入口にある石階段の登り口の角柱に彫刻されており、 当時の地図と比較して位置が動いていないと思われます。なお、横浜において内務省地理寮水準点が全部で何ヵ所設定されたかは不明です。
現在 「中村八幡宮」のほかに、 「伊勢山皇大神宮旧鳥居台座」(西区宮崎町)、 「妙香寺題目塔台座」 (中区妙香寺台)、「日枝神社旧稲荷社鳥居」 (南区山王町)、「庚申塔台座」(南区山谷)の4カ所で発見されていますが、何れも当初の位置にはありません。
「中村八幡宮」参道入り口の内務省地理水準点
(石段登り口、角柱左に彫刻)
角柱左に彫刻
http://www.city.yokohama.jp/ne/news/arc/mpr/1998/98111002.html#hyo1
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