2014年09月

2014年09月25日

表題は、爆笑問題の田中さんと太田さんの司会で毎週水曜夜10時55分から25分間放映されている、NHK番組『探検バクモン』の9月10日放映分のタイトルです。場所はつくば市の国土地理院、ゲストは芸能界きっての地図好きとして知られる、とよた真帆さんでした。とよたさんは『タモリ倶楽部』での巨大な日本地図模型の撮影で、昨年(一財)日本地図センターに来られています。

番組冒頭で、太田さんが地図・地理が好きでないので「来たくなかった」のコメントで始まりました。まず行ったところが「地図と測量の科学館」の庭にある、地球を20万分の1にして一部を切り取った形の直径20mの模型の上でした。その上に立って日本地図を一望しましたが、宇宙飛行士の若田光一さんが人工衛星から見た日本の大きさがちょうど見えるとのことでした。
 次に、となりに展示してある撮影用小型飛行機のところに行き、航空写真からの地図作りについて説明がありました。この飛行機には航空カメラが搭載されており、高度6,000mで飛んだ時に見える地上の状況が見えるようになっていました。現在のデジタルによる地図作りも、依然として図化や現地調査の部分などで、技術者の熟練が必要であることも強調されていました。その時、田中さんが“神業よ”と発言したことが印象に残っています。

次に地図収納庫に行き、貴重な伊能図が広げられました。私も永年国土地理院に勤めていましたが、初めて見ることができました。今年1月に同番組で国会図書館の地図書庫が放映されていましたが、その時“地図は歴史の真空パック”とのナレーションがあったことが思い出され、“地図として後世に残すことの重要性を改めて感じました。
 最後に巨大パラボラアンテナのところに行き、ハワイが毎年
6cm近づいているなど、宇宙の電波を使った地球規模の測量の話が出ていました。
 終わりに、太田さんが「最初、バカにしていた」との発言の後に「すごいスケールなんだなということと、博物館で感動したことで、やっぱりすごい」と、冒頭の「来たくなかった」も含め、最後はきちんとフォローしていました。なお、タイトルの“日本まるごと ハイ地〜図!”はタイトルしか放映されませんでした。(M)

↓番組ホームページ・2014年9月10日放映分
http://www.nhk.or.jp/bakumon/prevtime/20140910.html



jmcblog at 08:00 
コラム 

2014年09月10日

7月19日の朝日新聞朝刊の第13面の『私の視点』に、題名のタイトルで“地理教育が今危機的な状況に置かれている”として、鈴木康弘名古屋大学教授(自然地理学)のご意見が載っていました。

要約すると「高校の「地理歴史科」は世界史、日本史、地理の3科目からなっているが、1989年に世界史が必修となり、日本史と地理は選択科目となったため、地理を学ぶ生徒の割合が減り、現在は半数程度にとどまっている。今年1月、安倍首相が国会答弁で日本史の必修を検討していくと表明したので、これが実現すると地理を学ぶ機会を失いかねない。地理は世界各地を観察し、人々の暮らしを知り、人と自然の関係や地域間のつながりを考える科目であり、地球環境や地図情報、気候変動や活断層研究など、現代的な課題も地理学者が支えている。「大局的な地球観や世界観」をつかみ、世界を俯瞰的に眺める能力は、リーダの資質としても欠かせない。そこで、日本学術会議が提唱しているように、日本史と世界史を統合した「歴史基礎」と、グローバル化に対応した「地理基礎」の実現を図るべきだ」ということです。

 鈴木先生が初めて国土地理院の業務のご指導をなされたのは、阪神淡路大震災直後、国土地理院が新しく始めた『都市圏活断層図』の作成からでした。当時から活断層研究の第一人者でした。まさに現代的な課題を地理学者が支えています。

 昨年8月に世界の地理学者が京都に集まって開かれた『京都国際地理学会議』のテーマは「地球の将来のための伝統智と近代知」でした。1,200年以上の歴史があり、地球温暖化の京都議定書が採択された京都で、世界の地理学者が議論を交わし、成功裏に終了しました。国際会議と同時に行われた世界の高校生が参加して地理的知能を競技する『国際地理オリンピック』では、残念ながら銀メダル銅メダル各一人と金メダル11名の中に誰も入りませんでした。底辺を広げていくことの重要性を改めて感じさせる結果だったと思います。

 (一財)日本地図センターでは、少しでもそれに貢献すべく、今年も“夏休み地図教室”等を行っています。おかげさまで、今年18回行われたほとんどの回が定員35組に達し、盛況に行われました。来年も続けていくこととしています。(M)



jmcblog at 13:34 
コラム 

2014年09月01日

これは8月25日の朝日新聞夕刊に載っていた伊能図に関する記事のタイトルです。大日本沿海輿地全図(伊能図)に関し、蝦夷地は伊能忠敬の第1次測量では、函館付近に上陸し、太平洋岸の根室の近くの別海町西別までしか行っていないため、そのほかは間宮海峡を発見した間宮林蔵が測量した結果を利用した合作であるのが定説でした。それに対して伊能忠敬研究会が、この定説を覆す内容で、蝦夷地は全て間宮林蔵の測量結果であると18日発表しました。

その根拠は、下図のように伊能忠敬の測量した海岸線と伊能図の最終版との海岸線がほとんど一致せず、ズレは最大数kmあったことからです。以下の図は朝日新聞に載っていたものですが、赤が伊能忠敬の測量した海岸線、青が伊能図の最終版の海岸線で、新聞には書いてありませんでしたが、形から言って、襟裳岬周辺と推定されます。

図1


右側の地図は国土地理院発行の20万分の1地勢図を縮小したものですが、やはり青の伊能図の最終版の方が正確であることがわかります。

また伊能忠敬は第1次測量で南側だけしか測量していないこと、間宮林蔵は蝦夷地を測量したデータを1817年に伊能忠敬に引き継いだとされているからです。間宮林蔵は伊能忠敬から測量を学んでおり、また幕府の役人であったことから、大日本沿海輿地全図の作成に協力したことは推定できます。間宮林蔵の測量結果については残っていませんが、伊能忠敬研究会の渡辺一郎・名誉代表は、「最初の測量で自信がなかった第1次のデータでなく、間宮林蔵のデータを用いて正確な地図を作ろうとしたのでは」と話しています。第1次測量は、子午線1度の長さを測ることが最大の目的だったのかもしれません。



jmcblog at 19:32 
コラム