2014年01月

2014年01月31日

表紙


 東京や横浜の地形は起伏に富んでいます。ビル街の間に急な坂道が現れたり、丘陵を覆いつくすように住宅が立ち並んでいたりと、さまざまな地形を目の当たりにします。私事ながら、生まれ育った地が関東平野の「ど真ん中」ともいえる某市の市街地で、自宅周辺には坂という坂も見当たらない「まっ平ら」な場所でした。市街地を抜ければ一面の田畑が広がり、遠く富士山や秩父山地、浅間に赤城、筑波と、関東平野を取り囲む山々を望むことができます。そのような土地の起伏とは無縁の場所で生活してきたこともあってか(?)、私自身は「坂道」「丘陵」「台地」といった言葉に興味を惹かれるものがあります。

 私ども日本地図センターの建物は、周辺から一段下がった「谷底」にあります。建物前を横切る道路は山手通りですが、その向かい側の道はすぐに上り坂となり、周りを見渡せばコンクリートで固められた崖が迫っています。崖の上は、静かな佇まいを見せる住宅地です。こうした日頃から目にする地形でも、それがどのような経緯で形成されたのかを深く考えることは、なかなか無いのではないでしょうか。

 松田磐余・著『対話で学ぶ江戸東京・横浜の地形』(出版元・之潮)は、主に東京・横浜の都心部とその周辺に広がる、バラエティ豊かな地形について解説しています。これまでも東京の地形を扱う書籍や雑誌記事は数多く出版され、テレビ番組等でも取り上げられていますが、本書は特に「地形の形成過程」に重点を置き、自然地理学的な観点から記述している点が特徴です。タイトルに「対話で学ぶ」とあるように、本書内の文章は「著者」と「読者」の対話形式を想定した文体で執筆されています。

 本書では日本橋や銀座をはじめとする東京23区、横浜市中心部および横浜市南部の金沢地区等を具体事例として、地形の形成過程とその要因を詳細に解説しています。地図センターの周辺では、目黒川とその周辺の地形が取り上げられていました。センターより南西方向の、目黒川を越えたところには「東山貝塚」という貝塚があります。縄文時代にあたる5500年前から2500年前の間に人々が居住していた跡で、貝類のほかイルカやクジラの骨も出土されています。しかし、本書によれば縄文時代に入り江がこの近くまで達していたことは否定されており、実際は貝塚よりもずっと海側の、現在の東横線の線路と目黒川との交差部付近が縄文海進の限界だったと推測しています。貝塚には、あたかも縄文時代に入り江がすぐ近くまで迫っていたかのように描かれた看板が掲げられていますが、「昔はこの付近まで海だったのか」などと思いを馳せていた方々にとっては少々残念な考察結果かもしれません。

防災の研究者としての著者の視点から、本書では地形や地質、地盤にかかわる多くの専門用語が登場します。それらは大学で地形地質を学んだ方にはなじみ深い言葉だと思いますが、そうでない方は、予備知識のないまま本書の内容を読み解くことはやや難しいかもしれません。第1章にて基本的な用語の解説と、現在の地形が形成されるまでの大まかな変遷が説明されているので、まずはその点をしっかり理解しておくのがよいでしょう。

このほか、本書内では、東京の地形に関して各種メディアが扱った際、いくつか誤った説明がなされていた点も指摘し、正しい理解を読者に促しています。

なお、本書の表紙および口絵には、当センターが販売・配信するiPad用アプリ「東京時層地図 for iPad」に収録されている段彩陰影図が掲載されており、東京・横浜周辺における地形の凹凸感をよりリアルにイメージすることができます。

20131221日発行、価格1,800+税)



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本の紹介 

2014年01月27日

お正月が過ぎ、えべっさんが終わると、今年も117日がやってきました。阪神・淡路大震災の発生から19年。今年も各所でさまざまな追悼の集いが行われました。

兵庫県では117日を「ひょうご安全の日」と定めています。今年も、震災の追悼とともにその経験や教訓を継承するための「ひょうご安全の日117のつどい」が人と防災未来センター(現在の地図の中央付近、水で囲まれた建物)で行われました。この施設は阪神・淡路大震災を記念して作られ、災害・防災の研究機関であると同時に、展示スペースでは当時の揺れを再現した映像や災害当時の資料の展示、語り部の方から当時のお話を聞けるコーナーなどがあり、神戸を訪れる修学旅行や社会見学の児童・生徒が大勢訪れる観光教育施設となっています。
HAT周辺「神戸首部」範囲H26年1月地理院地図

人と防災未来センターは、HAT神戸と呼ばれる区域にあります。『東部新都心(HAT神戸)は、神戸市の中心市街地である三宮から東へ約2kmの臨海部に位置する、東西約2.2km、南北約1.0kmの区域です。東部新都心の整備計画は、平成76月、阪神・淡路大震災からの復興をめざす、「神戸市復興計画」において、シンボルプロジェクトのひとつとして位置づけました。』と神戸市のサイトに説明があるように、早くから復興住宅が建てられ、神戸防災合同庁舎や兵庫県こころのケアセンター、赤十字病院など、有事に備える施設や医療研究施設等も設置されています。

HAT周辺「神戸首部」H2年修正

この土地には大正6(1917)5月に川崎造船所(後の川崎製鉄)が設置し、約80年にわたって製鋼・製鈑工場として生産を続けた「葺合工場」がありました。震災でこの工場も被災したのですが、それ以前から工場の閉鎖は決まっていて、跡地の開発計画がなされていた、そのさなか震災が起きたのです。復興計画において通常ならばまず用地の確保から行わなければならないところ、そのような経緯からこの地区は、結果的に震災前とまったく異なる広大な新しい街並が広がる地区となりました。

HAT周辺「神戸」假製2万M18年測図

もともとこの場所は、明治時代に作られた埋立地。現在はさらに神戸港内の埋め立てが進んで海を挟んでさらに埋立地が広がっていますが、明治18(1885)年測図の假製2万「神戸」を見ると西国街道より南には砂浜の海岸線が続いており、現在とはかけ離れた海岸線を形作っていたことが分かります。現在の場所が昔のどこになるのか、判断するときにいい目印になるのが神社です。現在の地図をみると、国道の北側に「敏馬神社」という注記があります。(地理院の地図には“みるめ”と仮名がふってありますが、現地の説明板には“みぬめ”とかかれています。)明治18年の地図には神社名の注記はありませんが、「岩屋村」という注記の下に円周率のπに似た神社記号が描かれています。神社の位置を目印に見比べてみると、完全に現在のHAT神戸は明治時代には海の上です。

 19年前の地震だけでなく、空襲や水害にも見舞われてきた神戸。地図で読める変化は実際にその街で暮らしている人たち一人ひとりの想いまでは表しきれませんが、傷ついた街をよりよくしようと努めてきた方たちの想いが重なって現在につながっている。港に響き渡る追悼の汽笛を聴きながら、生まれ変わる街の歴史を想いました。



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コラム | 防災

2014年01月22日

 街に出ての昼食は、サラリーマンにとって、職場を離れ開放感を味わえる貴重なひとときである。先日、同僚と定食を出す小奇麗な料理店に入って、料理を待つ時間、テレビを見ていた。すると、画面に浦島太郎の「竜宮城」を思わせる建物が目に入った。私は、そこが日本のどこであるか即座に理解することができた。若い時に測量で訪れたことがある、九州武雄温泉に風変わりな建物が鎮座していたのを思い出したからである。ただ、40年も前の話で、現在では想像がつかないほど派手な朱色と白壁に装飾され、「これが何故、ここに?」とはじめて見る人は奇異に感じられるほどの派手さかげんである。

 なんと、これは、国指定重要文化財でお色直しされたばかりの「武雄温泉楼門(リンク)」で、あの東京駅を設計した日本最初の建築家、「辰野金吾」の設計によるものであることを紹介し、さらに東京駅完成直後に故郷の地に建設された小作品であったことをテレビは告げていた。昨年、約100年前の赤レンガ造りの駅舎に復元した東京駅には、干支(えと)が八つしかいないことが話題になっていたが、この武雄の干支をあわせると十二支が勢ぞろいするというから面白い。

 ところで、辰野金吾は、明治にロンドンから日本の工部大学校へ招かれた24歳の若き青年お雇い外国人のジョサイア・コンドルの一番弟子として、東京駅、日本銀行本店、などの数多くの建築をてがけ、日本の近代化に貢献したことは知られている。

 このコンドルの一番弟子で一期生の4人の中に「佐立七次郎」がいる。多くの建物の設計を果たしたが、戦災等によって形あるものとして残っているものは数点しかないが、日本の高さの基準として今もその機能を果たしている「日本水準原点標庫(下画像)が国会議事堂前の憲政記念館前(旧陸地測量部前庭)に現存している。

日本水準原点




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コラム 

2014年01月17日

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 全国各地の「児童生徒の地図に関する作品展」の優秀作品の中から更に選ばれた「国土交通大臣賞」の揖斐川町立揖斐川中学校3年・山口愛加さん、「文部科学大臣賞」の神戸市立長坂小学校6年・小渕菜緒子さんが、太田国土交通大臣から表彰状と記念品が、1/14(火)に国土交通大臣応接室で、授与されました。

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【国土交通大臣賞】「徳山ダム〜立体地図で湖底を見る〜」
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 多目的ダムとしては日本最大の徳山ダムの立体地図は、最大高低差が1260m。1枚高さ10m相当の計126枚のパネルを1年2カ月かけて重ね合わせた力作。旧版地図を使って湖底も表現しています。
 また実際のダムの写真と、模型の写真を並べた考察も秀逸です。この作品は、地図中心2013年11月号(通巻494号)「特集:地形模型の世界」の表紙も飾って、作者の山口愛加さんのインタビューも載っています。

【文部科学大臣賞】「神戸空襲から考えたこと」
IMG_3761戦時中100回を超える空襲を受けた神戸市。空襲のあった日時を書いたシールを、地図上のその場に貼っていったもの。
多くの人々の不安や悲しみが、地図を通してひしひしと伝わってきます。

 大臣賞2作品を含めた各地区の優秀作品を一堂に集めて企画展「第17回全国児童生徒地図優秀作品展」も開催されています。
http://www.gsi.go.jp/common/000085325.gif
@NHKふれあいホールギャラリー(渋谷区神南2-2-1 NHK放送センター内):45点展示
 期間:2014/1/20(月)〜1/26(日) 10:30-17:30 (20は13:00から、26は15:00まで)
@地図と測量の科学館(つくば市北郷1):153点展示(上の45点は1/26まではレプリカ)
 期間:2014/1/11(土)〜2/23(日) 9:30-16:30


是非、優秀作品の数々を目の当たりにしてください!



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2014年01月07日

年末年始には、各種の地図をあしらったカレンダーが配られています。今回一番目に留まったのが、宇宙から見た夜の地球のカレンダーでした。全体が夜で、海岸線がわずかに見えて世界地図だと分かり、東京など都会が明るくなっている地図のカレンダーです。

また“印象に残る日本の情景”として日本の地図の上に位置を示し、24カ所の情景を周辺に配置したカレンダーも印象的でした。ほとんどのところは行っていましたが、行きたいと思っていた札幌の「モエレ沼公園」が載っていたので、今年中には行きたいと思いました。

その他、大手家電メーカの「コジマ」が、昨年11月新聞チラシに“ご来店記念”として日本地図をあしらった2014年カレンダー20万枚の配布を行うとありました。早速近所の「コジマ」に行ってもらってきましたが、店に行くと“毎年恒例の日本地図カレンダー”と表示されていましたので、今回が初めてではなかったようです。

カレンダーは、北海道から九州までインセットなしに入っていましたが、そのほか沖縄などはインセットでした。このカレンダーには暦のほか、世界文化遺産の名前とその位置、主な世界の都市の緯度、夏冬の五輪開催地、都道府県の花など地図に関係するものが載っていましたが、最も気に入ったのが「馬の雑学」です(図の右上)。それには、睡眠時間が1日3時間、視野は350度、鼻だけで呼吸などが載っていました。

2014カレンダーコジマ


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