2011年09月

2011年09月09日

日本橋架橋100周年記念
- 街道(みち)の数だけ日本がある- 日本橋『日本百街道展』開催中!

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NPO法人全国街道交流会議「街道交流首長会 」 は、名橋「日本橋」保存会、日本橋架橋100周年記念事業実行委員会と共催で、「-街道(みち)の数だけ日本がある- 日本橋『日本百街道展』」を、地下鉄( 東京メトロ)三越前駅の銀座線と半蔵門線との乗換通路 〜公式には東京都中央区日本橋室町の国道4号地下歩道で開催しています。

日本橋は、徳川家康公の初入府(1590)から13年後の慶長8年(1603)に架けられ、翌年慶長9年 (1604) に四代将軍家綱の代になって五街道の起点として定められました。日本橋はお江戸の街の中心であるばかりでなく、徳川幕府が関東平野に張り巡らした内陸水運のターミナルでもありました。今でも日本の道路網の起点であり、橋の中央に道路原標が設置されています。現在の石造り2連アーチの美しい橋は、いまや日本を代表する橋となっています。
  街道の起点である日本橋が現在の橋になって100周年を迎えるにあたり、街道景観の保全・活用や街道文化への関心を喚起することを目的とする展示の、スケジュールは次のとおりです。

「日本百街道展 特別展」8月20日(土)〜 9月21日(水)

「木曽中山道展」        9月23日(金)〜10月23日(日)

「因幡街道展 」        10月25日(火)〜11月24日(木)

「しずおか東海道展 」  11月26日(火)〜12月25日(日)

 
  優美なアーチを描く江戸時代に架けられた木橋は、歌川広重による「東海道五十三次之内 日本橋 」など、多くの絵画の題材にもなりました。日本橋川には、全国の物産が集まる河岸(かし)が多数立地し、当時の貨物輸送の主力だった全国の水運のネットワークがすべてここに繋がっていました。下総国香取郡佐原村で醸造業・河岸問屋を経営し、また村の役職も担っていた伊能三郎右衛門〜若き日の忠敬は、商用や佐原河岸の公認を巡る幕府との交渉などで、日本橋付近の河岸に何度も降り立ったはずです。
  江戸は火災の多い都市で、日本橋も何度も火事でやけ落ちその度に架けかえられてきました。明治44年(1911)、東京市の技師米元晋一(よねもとしんいち)の設計と大蔵省臨時建築部長の妻木頼黄(つまきよりなか)の監修による、橋長 27 間(約49m)、幅員15間(約27m)のルネッサンス式石造石拱橋が完成し、百年を経て現在に至っています。この間、関東大震災(1923)や戦災(1945)に遭いながらも、美しい姿を保ちつづけたのは奇跡としか思えません。

また、日本橋が国道4号(旧奥州街道)で東北地方に通じていることを踏まえ、「よみがえれ! みちのくの街道 」コーナーにて、奥州街道や岩手県陸前高田市から青森県八戸市まで三陸海岸の各地点を結ぶ三陸浜街道など、街道の歴史や風景を写真や史料で紹介し、この度の東日本大震災で被害を受けた道路やその復興状況も展示されています。これと併わせて震災復興を応援する「みちのく街道復興支援市」が毎週金、土、日に開かれ、東日本各地からの特産品などの販売応援がされることになっています。ちなみに開催日初日と二日目は、福島特産の桃の試食販売だったそうです。 今が旬の美味しい桃の購入には風評被害など考えない方が多く、「黄金桃」はちょっぴり酸味があり美味しく、「まどか」はあまくて大好評ということでした。こういうニュースを聞くと何だか嬉しくなりました。

会場は東京メトロ三越前駅の半蔵門線と同銀座線との乗換コンコースの一部となっています。日々お忙しい方も、通勤途上あるいは少し足を伸ばしてデパートでの買い物も兼ねて、お立ち寄りになってみてはいかがでしょうか。日本橋の街がちがって見えてくるかもしれません。

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