2011年07月

2011年07月08日

 
   地震・防災関係の書籍が相次いで刊行されています。本年(2011年)6月9日に発行された寺田寅彦『天災と国防』(講談社学術文庫)もそのひとつで、「津浪と人間」など災害について言及したエッセイ12編が収録され、これに失敗学に関わる著作の多い畑村洋太郎東京大学名誉教授による38ページにも及ぶ解説が付いています。この解説自体が、自然災害に関わる危機管理についての小論となっていて、充分に読み応えがあるのですが、ここでは寺田の著作をみていきましょう。
  寺田寅彦(1878−1935)といえば、東大地震研究所に勤めた地球物理学の研究者であるとともに、夏目漱石門下のエッセイストとしても知られています。「天災は忘れた頃にやってくる」はあまりにも有名です。この言葉を文字通り書いた文章は無いといわれていますが、本書に収められた12編のなかで、同趣旨の考察が何度も書かれています。
  今回の東北地方太平洋沖地震・津波は千年に一度の規模といわれています。ただし三陸海岸に限っていえば、明治三陸津波(1896年)以降、顕著な災害をもたらした津波が襲ってき間隔は、37年、27年、51年です。ひとが忘れないうちに対策を施し得る期間内にあるように思えるのですが、寺田はこう書いています。

さて、それから更に三十七年経ったとする。その時には、今度の津浪を調べた役人、学者、新聞記者は大抵もう故人となっているか、さもなくとも世間からは隠退している。
(中略)
津浪に懲りて、はじめは高い処だけに住居を移していても、五年たち、十年たち、十五年二十年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人口は移って行くであろう。そうして運命の一万数千日の終りの日が忍びやかに近づくのである。
(中略)
これが、二年、三年、あるいは五年に一回はきっと十数メートルの高波が襲って来るのであったら、津浪はもう天変でも地異でもなくなるであろう。
 
  大津波の発生間隔が5年として、天変地異でなくなるかどうかは微妙なところですが、近代以前には毎年発生する規模の洪水氾濫は織り込み済みの土地利用がなされていたことを念頭に置いたのかもしれません。37年を日数で読み替え、発生頻度に関する属性を仮に変えてみたりと、視点の大幅な転換が、寺田のエッセイにはよくでてきます。自然現象を見直すために効果的なこの手法は、SFでよく使われます。次のような一節があります。
 
  夜というものが二十四時間ごとに繰返されるからよいが、約五十年に一度、しかも不定期に突然に夜が廻り合せてくるのであったら、その時に如何なる事柄が起るであろうか。

   「津浪と人間」の初出は、昭和津波直後の1933年。その8年後、寺田の課題提起に応えたようなSFが書かれました。アイザック・アジモフ(1920−1992)「夜来たる」(1941)です。6つの恒星からなる多重連星系にある惑星に、2500年ぶりの夜が訪れる。その惑星に住む知的生物は、高度な文明を築いていたが、文明の絶頂期を迎えるたびに炎上し滅びてしまうという伝説があった。夜を知らなかった彼らが、実際の夜の闇に直面し、恐怖に駆られて周囲のものに火をつけはじめ、伝説は現実のものとなる、という話です。
  津波災害の懸念が三陸だけではないことにも言及されています。その懸念は寺田没後の1944年に起きた東南海地震、1946年の南海地震で現実となりました。過去の災厄の経験に学ぼうとしない社会に、寺田は軽妙な筆致のなかにも、強い警鐘を鳴らしています。しかし結びにあたって、未来に希望を託しています。
 
  人間の科学は人間に未来の知識を授ける。

  災害に関する科学知識の水準を高めることによって、天災の予防が可能になる。その水準を高める原動力として、寺田は教育の重要性を掲げています。
☆ ☆ ☆
寺田寅彦の作品は、作者没後50年を越えて著作権が消滅し、人類共有の財産となっています。青空文庫版(http://www.aozora.gr.jp/)を基に部分引用しました。
  (財)日本地図センターは、東日本大震災で被災された学校へ地図や図書などを寄贈しています。→ 東日本大震災被災学校への地形図等の配布についてhttp://www.jmc.or.jp/other/earthquake110314/repo2.html

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