2009年09月16日

ag
先ず写真を見てください。

海の上を走るレトロモダンな電車。 
この光景、どこかで見たことありませんか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1959(昭和34)年9月26日夕刻、台風15号は和歌山県潮岬付近に上陸、勢力を保ったまま伊勢湾奥部を通過したとき満潮と重なり、暴風雨と高潮が沿岸を襲った。知多半島の伊勢湾岸を走る名古屋鉄道 (名鉄) 常滑線では、名古屋市南部の天白川河口付近のデルタ地帯の区間が一夜にして海中に没してしまった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 
  名鉄OB の白井昭さんが、地図中心9月号の伊勢湾台風特集のために書いてくださった記事の冒頭部です。 当時、白井さんは常滑線沿線から名古屋市内の本社に通っていて、被災者であると同時に、災害復旧 ・復興にあたる当事者として奔走されました。
 冠水は約2ヶ月間続きましたが、名鉄は、排水を待たず10月初旬から電車代行船や冠水深の浅い築堤上を走る代行バスを運行、11 月には築堤を盛り上げ線路を仮説して、水面すれすれながら電車運転を敢行し、孤立しかけていた知多半島の人々のライフラインを確保したのです。写真は、この仮線を走る電車を、白井さんが記録のために撮ったものです。
 
現在、名鉄常滑線は名古屋市内から中部国際空港へのメインルートとして賑わっています。

  さて海を走る電車、ちょっと変わった形です。 これは昭和戦前期に、世界的なブームに乗って造られた流線型の高速電車で、比較的最近まで現役で走っていました。
  海の上を走るレトロモダンな電車。この写真は、伊勢湾台風災害から数年後に雑誌に掲載されたことがあります。もし、あるアニメ映画の監督がこの写真を知っていたとしたら・・・。

地図センターHOMEへ


jmctsuza at 17:10 
地図中心 | 防災

2009年09月11日


index  二百十日をすぎ、今年も10個以上の台風が発生しています。そんな今年は1959(昭和34)年9月に東海地方を直撃した伊勢湾台風から50年目にあたります。洪水や高潮により多くの被害と犠牲者を出し、日本の災害史に残る水害であったことは言うまでもありません。しかし台風より前に濃尾平野の地形分類図は既に作られ、低地部分は台風の浸水範囲と見事に一致していたのです。この地図がもっと活用されていたら、被害は軽減されたかもしれません。


地図は悪夢を知っていた」―当時、地元の新聞ではこのように報じられたのです。


 伊勢湾台風は日本の治水事業や気象学にも大きな影響を与え、土地条件図や各種ハザードマップが整備へと繋がる一つのきっかけとなりました。本号では「地図は悪夢を知っていた」の紙面を表紙に、伊勢湾台風の気象条件、濃尾平野の自然環境、復旧から復興への軌跡、そして現在の木曽三川の治水を貴重な地図や写真と共にお送りします。


※10月号特集は「東京都大田区」です。

10月10日発売予定。お楽しみに !

http://www.jmc.or.jp/book/mapcenter/index.html


地図センターHOMEへ 



jmcsuzu at 09:31 
地図中心 | 防災

堀江水準標石(千葉県浦安市堀江4丁目1 清龍神社境内)

−土木学会選奨土木遺産
                     (平成192007)年1210日指定)−


   土木学会選奨土木遺産として指定された 「堀江水準標石」 は、日本最古の水準標石で、オランダ人技師 「I・Aリンド」 が明治5 (1872) 年8月にこの場所で観測した記録が彼の日記に残されています。日記によれば、8月に堀江で観測に着手してから、江戸川を水準測量による縦横断測量しながら遡り、関宿には9月に到着しました。更にここから利根川を下り、銚子の飯沼観音に10月にたどり着いています。

リンドは、飯沼観音の境内にも堀江水準標石と同様の水準原標石を設置し、この水準原標石の高さを決めるため、利根川河口に設けた水位尺(量水標)の零目盛を通る面を基準面にして高さをあらわしました。そして、これを名づけて日本水位 (J.P.:ジャパン・ペイル/ Peilはオランダ語で水準の意) と呼び、関東全域の高さの基準としたのです。

このように、わが国の高さは日本水準原点が完成した明治24年まで、河川ごとの河口に設けた水位尺の零目盛を基準としていたのです。

堀江水準標石リンド
  
 
  




  堀江水準標石(左) 
          
                I・A リンド(右)
写真は銚子リンド研究会設立記念講演会報告書より
http://www.gsi.go.jp/WNEW/koohou/475-5.htm   


地図センターHOMEへ


2009年09月04日

 
 測量は、その時代時代における社会の要請とともに発展してきました。近年において阪神淡路大震災や有珠山の噴火災害を機に測量が防災に貢献することが期待されてきました。平成13年 1月から国で唯一の測量事業機関である国土地理院は中央防災会議の指定行政機関として、災害情報の収集・提供の役割を担っています。

  これまでのわが国の測量は、歴史的な歩みから三つに大別することができます。
  一つ目は、土地の所有や権利に係わる測量です。自分の所有する土地を正しく確定し、記録することは各々の国民が安心して自分の生活を維持し、他人に対してその権利を主張するために必要です。そのためには、まず確かな測量が行われなければなりません。記憶に新しい阪神大震災においても、復興にあたって個人の土地の境界をどう再現するかが大きな問題となりました。このような土地の所有、権利に関連する測量は重要な測量の一つで、社会の進展とともにますます重要性を増してきています。その種の測量の流れは、現在の土地台帳の測量(法務省)、地積測量(国土交通省土地資源局 / 旧国土庁土地局)等に係累しています。

  二つ目は、行政上および防衛上の国土の実態把握のための測量です。 日本に限らずどこの国でも国家が形成され、他国との関係が出てくると、行政上や防衛上の理由により、国土の状況を把握することが必要になってきます。 全国的に統一された規格で、国土の状況を把握することは、国家として不可欠なことです。 伊能忠敬が作成した全国図や、陸地測量部の5万分の1の地形図等は、その成果であり、現在国土地理院が担当している基本測量がこの流れを引き継ぐものです。
  三つ目は、土木技術と関連した測量です。東大寺のある平城京は、唐の都 「長安」 を模して建設された都市ですが、整然と区画された街並みは、測量の技術なしでは考えられません。このように、都市計画、築城、治水、農地の開墾等において土木技術と関連した測量技術が発展しました。土木測量といわれる測量の流れです。私たちの生活基盤を作り、維持するために必要な測量です。 公共測量といわれているものの大部分がこの分野のもので、国土交通省や農林水産省および地方自治体の所管となっています。
  防災は測量の新たな四つ目の私達の安全な暮らしに貢献する技術として、社会でおおいに期待されています。

01 コスモス4

地図センターHOMEへ

 



jmchako at 11:49 
コラム | 防災
 

地図の上方は、なぜ、「北」になるのか。と質問を受けたことがありますが、別に決まりはありません。国土地理院をはじめ国内・外の政府機関が発行する地図の大半は、地図の上方を「北」にしています。しかし、南半球に位置するオーストラリアでは、地図の上方を「南」にした地図もあります。

05 磁針方位・コンパス2  では、どうして地図の上方を「北」にしたかについては、()地図を北極星の方位に対比するのに便利だから、()磁石で方位を求めるとき、磁石の針はいつも「北」を指し、地図にあわせるのに都合がよいから等いろいろな説があります。
  ところで、北と南を基準にして示す方向を「方位」と呼んでいます。方位には、真方位と磁針方位があり、地図の指す方向は「真方位」、磁石の針の指す方向が「磁針方位」です。真方位と磁針方位には若干のズレがあります。現在は日本では、磁石の針は真方位より西に偏った方向を指します。この真方位と磁針方位とのズレの量は、地域によって、日時を追って変化します。札幌では磁針方位は西偏約9度20分、東京では西偏約6度50分、宮古島では西偏約3度50分です。地形図の図郭外に磁針方位が書かれていますので、地図上で磁石を用いて方位を求める場合には、参考にしてください。


地図センターHOMEへ



記事検索